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気付き

久米島に呼ばれた理由  原因編

久米島に呼ばれた理由  原因編


遅くなりましたが久米島のお話です。
前回、前々回の記事は、
久米島に向かいながらの車中や、船上で書き込みしていましたので、
あまり詳しく書けませでした。


久米島での初日、
実はどこの拝所にも行ってません。
サイプレスホテルで仕事がある友人を下ろした後、
一人で御嶽巡りしようかな?と勇んでましたが
前日からの疲れと睡眠不足、そしてナビ付きの車なのに
道や目的ポイントを設定できない僕。
そんな自分にだんだんやる気を無くしてしまって、
結局一人、宿でテレビを観てました。
久米島も三度目というのに迷子になる花屋(笑)

友人の所用が終わるまで待ってから、
久しぶりに久米島の友人達と再会してから、夕食をご一緒させてもらい
そのまま飲み会へと流れ、zu-zuさんの工房へ場所を移動しました。
みなさんとの語らいはとても楽しく、時が経つのも忘れて僕は飲みすぎてしまいましたが
次の日は珍しく早起きが出来たので(笑)今回の目的場所『宇江城城跡』まで
zu-zuさんに連れて行ってもらいました。

久米島に呼ばれた理由  原因編


ウエグスクは山の頂上にあって、展望台のような場所になっています。
360度視界をさえぎるものがないので素晴らしい眺望です。
ウエグスクに登るためには山の中腹にある観音堂を通ることになります。

ウエグスクに登る前に中の千手観音さまに挨拶をするべく、
敷地内に入ってみると、なんと一本の木が倒れてすでに白化していました。
何事だろうとその木に触れてみた… が解りません。
いつもならどんなに弱っていても、
木のほうからエネルギーを流してくれてその中にある情報がわかったりするんですが…。
(それが木(自然)の無償の愛)

ただ完全に死んでいるわけではなくて
枝先が天に向かって真っ直ぐに伸び始めていたので、僕の方から少しだけ氣を流しました。

僕はまだまだ未熟です。
集中してリラックスする。或いはリラックスして集中する。
本当はどんなときでも、自分の中心に入っていける精神状態を
作らなければいけないのにそれがうまく出来なかったり…。
でもその出来ない理由はわかっています。それが僕の今の学びです。
観音堂ではメッセージを聞くことができないまま、
ウエグスクへ向かいました。

残暑というよりまだまだ夏真っ盛りと言う感じで
日差しが強かったんですが心地良い風も同時に吹いてました。

久米島に呼ばれた理由  原因編


頂上にたどり着くと…  やっぱりありました。
石囲いの中にあるたくさんのお賽銭です。
前回来たときは底が見えたのに今は見えません。確実に増えています。
僕に与えられたミッションは、ウエグスクの地下に溜まった念の浄化ですが、
その原因の一つが、このたくさんの願掛けされたお賽銭にあるかも知れません。

一体、何をしていいのやら、わからぬままに
積み上げられた石、石の枠組み、そしてその中のお賽銭に
水をかけていました。一応浄化のためです。
これもその場しのぎにしかなりませんが…。

   ウエグスクは天に感謝する場であり、願いの場(願掛け)ではありません。
   祈りは感謝であり願いとは欲求です。
   この二つは似て非なるもの。混同してはいけません。
   どうしても願掛けしたいのなら、お賽銭箱のある場所でお願いします。
   僕は他(自分以外)に自分のことをどうにかしてもらおうなんて思いません…。
   今の僕の状況アナタの状況がすでに『与えられているもの』だからです。
   もちろんギフトも試練も含めてです。出来事の良し悪し関係なく
   必要なものはすでに与えられていることに気付いてください。

   きれいごとだけでは片付けられないので、たまには厳しいことも言いますが、
   すべてのものには陰陽があり、この世界にも「オモテ」と「ウラ」があります。
   目に見えるすべての現象をこの世界のみで語れるとは思わないでください。
   すべてのことを人の頭の中だけで理解出来ると思わないで下さい。

   人の心から傲慢さが消え、謙遜さがあらわれてはじめて
    『物事を悟る』ことが出来るようになると思います。
   何を持ってして『悟り』か?ということも
   人それぞれだと思いますが、悟りに執着しすぎるのも良いとは思えません。
   すべてはバランスと仕組みだからです。
   何かにしがみついていると、常に手がふさがってしまうものです。
   悟ったらそれを気持ちよく手放して、新しい知識をいつでも手に入れられるようにすればいいのです。
   手放したからといってもそれがなくなるわけではありません。
   出来事は忘れてしまっても心・魂に蓄積されていくのです。
   もしかしたら霊性とは、無意識のことを指しているのかも知れませんね。


清らかな高い思考の念は上昇し高次元に向かいます。感謝とか祈りの念ですね。
願いの質にもよりますが、暗く重い念は下へ下へと下降し低次元へ堕ちていきます。

前に来たときは解りませんでしたが、
ウエグスクの山全体が大きな入れ物のような存在になっていて
そこに僕たち人間が知らずに、欲求の念をどんどん溜め込んでいったのでしょう。
もしかしたら僕も前回ここで願ったかも知れません。

  僕が久米島に行く前の夜に観たビジョンには
  元々からここにあったピンクのエネルギーと、
  どす黒いエネルギーが、水と油のように混ざり合うことなく
  ゆるいミキサーにかけられているようにうごめいていました。

僕の他にもここで願った人がいるかも知れませんが、心配しなくて大丈夫です。
これは誰も知らなかったことから起きてしまったことです。
誰が悪いということではありません。責任のなすり付けもいけません。
これを初めに作った人も、人の為誰かの為に“良かれと思って作った”はずなのです。

それでも今までは何とかその均衡を保っていました。
その均衡を保っていたのは山の自然たち≪木々の存在≫です。
  注)すべての物には霊性が宿っています。
木は二酸化炭素を吸収して酸素を出しています。
まるで≪フィルター≫ですね。これは見える世界のオモテの答え。
見えない世界のウラの答えも、実は≪フィルター≫なんです。

人が生きるためにはどうしても“念”を作り出してしまいます。
念の質に関係なくどちらも発生してしまいます。
木はその負の念を少しずつ吸い上げて身の内で浄化し、
きれいにしてから吐き出しているのです。

その中でも観音堂内にある木々たちは、大きな役割を担っていたハズ…。
敷地内のその木が寿命を終える前に倒れてしまっていた…。
なぜ倒れたか?という目に見える理由は解りませんが、
これで「天井が落ちている」という受け取ったメッセージと繋がりました。

目に見える木の役割の一つが天井を支える柱です。
観音堂の天を支える柱の一つが倒れて、
中の千手観音さまは、その頭上にある城跡から
溜まりまくった人の念を頭から被ったのです。

“天上人が低い波動を受けて次元を落としている”

天井とは天上のこと。
「天上(神)が堕ちていた」とはこのことだったんです。
普通に考えても神の頭上で願い事をしてはいけませんよね。

宇江城城跡がある山全体は、その昔聖域だったんだと思います。
観音堂がその中腹にあるのは、そこが神の山へ入る時の挨拶の場所だった。
でもその話と観音堂が建っていることとは、また別の意味があるかも知れません…。

 最初の頃は仏像は無かったのかも知れないし、
 すべてを繋げてしまうのは安易過ぎるからです。

“神御無礼”になっているから呼ばれたんだと思います。
(僕だけが呼ばれたわけではないです。千手観音さまは僕の干支)



去年の夏の終わりに、
レイキメンバーみんなで久米島に行ったことがありました。
宇江城からの帰りに初めてみんなで観音堂に立ち寄りましたが、
その時にメンバーそれぞれの感じ方が変わっていたことを思い出したのです。

僕が観音堂で感じた感覚は…、
見た目に怖さはありましたが、中に入ってみると案外そうでもなくて。。。
慣れてくると安心感もありましたが、他の多数の方は「いい感じがしない」とか
敷地内に入ってこないメンバーさんもいました。

 在る人はその奥に負のエネルギーを敏感に感じて…
 また在る人は本来のきれいなエネルギーを感じて…

その頃からすでにエネルギーの変容(エネルギーの裏返り)が起こっていたんですね。
今思えばそれぞれが正解だったのでしょう…。


















時々ぽちっとしてくれると嬉しいですキラキラ 






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この記事へのコメント
こんばんは・・・・
こないだ行った、玉城の山にあるヤブサツ御嶽にも
山中なのに・・・・・・・ ひとが頻繁に来るはずもないのに
お賽銭がいくつかありました。

「こんなとこにお金置いて、どうなるんだろう。」と思ったのは
花屋さんが経験したことと同じだったんだな~と
今になって納得しました。

ウチカビ、シルカビ、線香が残ってても不自然に感じるけど お金があるのも不自然に感じる。

あと わたしも色んな木に出会ってるのに あまり触れずに来ました(笑)
もったいない!これからは触りまくろう。
ふふふ
Posted by 雫 at 2008年09月10日 21:29
>雫ちゃん

金は天下の回りもの(?)と言われるように、
僕はお金の仕組みは≪サイクル≫だと考えてます。
サイクルして回ることではじめて生きてくる。

物(特にお金)には氣が流れているので、
滞らせるような使い方よりは、循環させる使い方の方がベストだと思います。
なによりお金は人が使うものだよね(笑


 >わたしも色んな木に出会ってるのに あまり触れずに来ました(笑)
 >もったいない!これからは触りまくろう。

そうそう、触りまくろうぜ!(笑
慣れてくると離れていても、何が言いたいのか解ってくる。
全体を観るだけで訴えてくるものが解ったり…。
自然崇拝というアニミズムだよね。
表面意識の僕が決めることじゃないけど、
僕は今、シャーマンを目指しています。
Posted by 花屋花屋 at 2008年09月10日 23:57
花屋さん お久です こんちわ
HN変更しました 改めてよろしくです

>もしかしたら霊性とは、無意識のことを指しているのかも知れませんね

そこに共感しました 私まだまだ未熟です
でもここをみてると人を人が批判することの意味はないんだなって
ほんのすこし気がついてきた今日この頃です(^ー^) 

久米島はいつか訪れたいです山の緑がきれい♪(写し上手ですね)
花屋さん遠方のお務めおつかれさまでした 多謝
Posted by 理佳 at 2008年09月11日 12:28
>理佳さん

お久しぶりです、理佳さん…‥・。 えっ?どこのリカさん???笑
前のHNを教えてくださ~い ( ^^;;

 >霊性とは無意識のことを指しているのかも~ と言ったこと。

それは無意識下では≪すべては一つ≫であるから、本当なら
すべての物事・人に関わらず、理解することが出来る、又は共有出来るんです。
正確に言うと、それぞれが滞在している次元とかチャンネルが異なるので
すべてのモノと同時に繋がることは、事実上不可能と思ってます…。
夢を壊すようでスイマセン。
でも、大が小をかねるように、高次元は低次元を凌駕していますよ。

すべてと共有出来るということは≪アニミズム≫思考ですね。
アニミズムを簡単に説明すると…
“すべての万物に精霊・神が宿っている”というアレのことです(笑

先祖や自然崇拝が基本の沖縄では、
その信仰の基盤が出来ているので、受け入れられやすいです。
アニミズムを否定していては、木や御嶽から
メッセージをいただく現象のことを理解できないと思いますね。
それで最近、アニミズムとシャーマニズムがすごく気になっていたんです。

 >でもここをみてると人を人が批判することの意味はないんだなって
 >ほんのすこし気がついてきた今日この頃です(^ー^) 

僕は人を批判したり罵倒したりすることを極力さけています。というのは、
自らが発する低次元の言葉や想いで、自分の次元を落とし込むことを避けているのです。

怒り・悲しみ・恨み・嫉妬というあまり良くない感情の波動がありますよね。
どんな出来事があったにせよ、その感情は与えられたものではくて
≪自分で作り出している想い≫だということに気付いたからです。

自分ではちょっと言いにくいのですが…
僕は今では感情を理解しつつあるので、簡単には怒らない…
ではなくて、簡単には怒れなくなっているのです。

でも、気を付けて理解してほしいことは、
僕は感情を表さないように押し込めているわけではありません。
封印しているわけではないことを理解してくださいね。

あと一つは、周りがどんなに注意や気付きを促しても、
“変わらない人”っているんです。
結局は本人の心次第、学ぶのも自分、学ばないのも自分なんですね。悲しいことに…。

だから台風の目のように、
人の心を荒らしていく、すべての人が悪いとも思えないんです。
いつ何がキッカケとなって、人が変容していくのか誰にもわからないから。

これは僕のブログを見てくれている、みなさんへのコメントです。
Posted by 花屋花屋 at 2008年09月11日 15:13
花屋さん

はじめまして!
といっても、ブログを読み始めて数ヶ月が経つのですが
今回のブログで花屋さんのエネルギーが
とても変わった気がして、ついコメントを書き込んで
しまいました。
これからもブログを楽しみに読ませていただきます。
Posted by ひろひろひろひろ at 2008年09月11日 20:28
花屋さん こんばんは。

霊的な事は私は全くわかりませんが神秘的な事を感じました。
物には気が存在するんですね~
人を物を大事にしていこうと思います。
Posted by sari at 2008年09月11日 21:31
>ひろひろさん

いつも見ててくれてるんですねー!
まいどありがとーございまーす♪
嬉しいです、そう言ってもらえると ^^;a

ブログを休んでる間に少しばかり変化がありました。
そのせいでちょっと変わったのかも知れません。
でもその変化は僕の力ではないですが…。

これからも僕の変化を見守っていてくれると嬉しいですね。
ありがとうございます!

あと、
僕もミスチルの歌が大好きです。 …と言うかヘンです。
桜井の歌声やメッセージは、僕の中に力を送り込んできて
僕は頭が沸騰してしまいます。
僕の魂に燃えたぎる炎が宿り、無敵になるんです(マジで ^^




>sariさん

こんばんは~、sariさん♪

 >物には気が存在するんですね~
 >人を物を大事にしていこうと思います。

他の人がどう思おうがその人の自由ですが、
僕は≪氣とか精霊や神が宿っている≫と、すでに自分の中で
“ 腑に落としてる ”のでまったくブレません。

そのおかげなのか?僕も最近からやっとモノのありがたさに
気付きはじめたと思ってます(遅っ!)
でもブログを見る限りではsariさんは
普段からモノを大切にしてる方だと思いました。
それがブログに現れてますね、素晴らしいですよ♪
家族を大切にされてる方をすごく尊敬してますのでっ!
Posted by 花屋 at 2008年09月11日 23:34
★花屋さんへ

こんばんは。
そうですね、何にしろ大切に思う心は永遠に持ちたいものです。
お褒めのお言葉ありがとうございます♪
Posted by sari at 2008年09月13日 00:45
こんばんは♪
コメントありがとうございました♪

素直にやるべき”事”を成す姿に
☆すご~い☆の一言です(^_^.)

励みにさせて頂きます!(^^)!
Posted by ペガサスペガサス at 2008年09月13日 01:40
>sariさん

いえいえ、こちらこそ!
気付かせてくれてありがとうです。




>ペガサスさん

やるべきことをやらないと
転ばされることがあるので。。。
でも楽しんでやってるのが一番ですよね。

ペガサスさんの方が全然すごいですよ!
僕も手は突っ込みましたが、薄いスポンジも使ってましたよ。
Posted by 花屋花屋 at 2008年09月13日 02:53
こんばんわ 花屋さん
おどろかせたことはお詫びします 失礼しました

話しが長くなったのでメール送りました
レスは新たな発見と勉強になりました 
ありがとうございました(^^)/
Posted by 理佳 at 2008年09月13日 22:14
>理佳さん

コメントを返した気になってました。
スイマセン、理佳さん^^;

理佳さん、久しぶりのメールありがとー☆
お互いの近況報告は楽しいですね。

 >レスは新たな発見と勉強になりました 

僕も理佳さんのメールの中から新たな発見がありましたよ。
やっぱり目の前に現れる人は、僕の中に気付きを伴ってやってきますね。
ありがとうございまーす♪
Posted by 花屋 at 2008年09月15日 16:14
花屋さん、こんにちは♪

今朝 宇江城城址に行って来ました。
観音堂に寄り 報告してから登りました。

最近‥宇江城城址の事を調べてわかったことがあります。
この山全体が昔 聖地だと言われ『神が獄』と呼ばれていたそうです。
(花屋さん ピンポン♪でしたね。)

☆休憩時間を利用してのコメントで またお邪魔します。
Posted by zu-zu at 2008年09月18日 14:18
>zu-zuさん

こんちは、zu-zuさん♪
久米島では大変お世話になりました。
ありがとうございます。

いきなり本題です。
内地とかには、山のふもとに地蔵さんとかがありますよね。まるで関所ですが…。
その役割的なものが、今の観音堂が立っている場所だと思いました。
なぜ千手観音を安置しているのかはわかりません。
この近くに寺を作りたかった方達が、一緒にしたのかも知れませんし…。

今となっては聖なる山の守り神的な要素よりも、
一つの寺としての役割の方が強いでしょうね。
(僕らの前にお祈りしている人達を見てそう思いましたよ)

吸う・吐く、呼吸と同じです。
これが仕組みで、神の気が降りる場所があり、気が登る場所がある。

宇江城城跡は高い波動が下りる場所、
その気が久米島の隅々にまで広がっていくのです。

だからこそ、願掛けの念の波動で穢してはいけないのです。
気が降りる場所があるなら、気が上がる(願いを聞き届ける)場所もあるはずですね。
神社などはその両方を兼ねているはずです。
海辺の波、押しては引くの離岸流を思い出して、気が付きましたよ。
Posted by 花屋 at 2008年09月18日 16:06
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