ブログも次の段階へ入ります。
と言っても内容は変わりませんけど。(笑)
僕がブログを再開したのは、神世界の探求が
ほとんど終わったことと、意識の中で何度も請求がきていたから。
(ブログを再開させて自分を発進させなさい!)ってね。
自分の中で(早く早く)と意識が急かすのを抑えながら、
ブログを再スタートさせるために演出もしたためていたのに、(笑)
突然、意識の中にバシ!っと情報がダウンロードされ、
これを先に書け!との合図が。そのため、
挨拶もそこそこに記事投稿。んで次の記事へ、次の記事へと
進まされてブログ停止期間のことを謝るヒマもなく、ブログ投稿
しない日でも、ずーーっと下書きを書かされてる始末。(涙)
神世界を(自分なりに)理解したこと。
僕が地球に来た理由が解かったこと。
未来人が過去へ旅立ち、人の祖と成るのが解かったこと。
地球も輪廻転生してること。
人の意識を繋げていく役のこと。
「僕」と「もう一人の自分」との意思の疎通が、
スムーズにできるようになっていること。
これらの学びは殆ど同時に理解しました。
信じるという状態から確信への到達した瞬間。
「信じてること」の意味と「理解していること」の意味は
その理解差がまったく異なります。
理解とは「確信」した気持ちのこと。
確信や自信が人に「ケタ違いの強さ」をもたらしますが、
それをアタマで解かっても心が理解出来ていないと、
その強さを手に入れることは出来ません。
それがないかぎりは意識は開かないと思います。
こればっかりは言葉では届かないし、
人が手伝っても到達しないと思います。
このブログを始めてから本当にたくさんの人の心に、
触れさせてもらいました。同じように職場でも(現場)
毎日たくさんのお客さんと接することができて、
おかげさまでブログでも現実でも、『心』の性質を
学ぶことが出来ました。本当にありがとうございます。
あえてブログに書くことはしませんでしたが、
僕の仕事はパチンコ店関係です。(店舗には居ませんけど)
ここで働いてる意味を理解しつつあります。
僕は人の流れを玉(魂)の動きを観ていたんです。
お客を通して心というものを学んでいました。意識の性質を。
前にしりえいさんにコメントで言われたことがあります。
一部抜粋:
生きていくための大事な仕事が…パチンコ屋さん
そこからくるのは大日如来印
雑音の中からある一点の流れを読み取れ!の指示‥
当時はこの意味がまったく解からなくてね、(汗)
でも今は僕の観る世界観で答えられるようになりました。
パチンコ台は地球なんですね。パチンコはの魂(たま)です。
パチンコを知らない人もいると思うので、
現場を知る僕から言わせてもらうとお客さんは、
勝っても負けても関わらず自らパチンコ台に戻っていきます。
パチンコ玉も同じなんです。
勝った玉も負けた玉も同じようにひとつに集められて
またパチンコ台に向けてコース(道)がセットされます。
パチンコの勝った負けたは、(やった)(やられた)と同じ意味、
勝っても負けても繰り返します。
続ける限り続き、続く限り続けます。輪廻転生。
雑音とは勝った負けた、やったやられたのこと。
一点の流れとは勝っても負けても、
また同じ流れにそってパチンコ台へとはじかれるの意。
過去記事参照:来年は一人三役
http://gaiax3.ti-da.net/e1873513.html#comments
英知を司るしりえいさん^ー^
http://reenoehon.ti-da.net/
玉の流れ、人の流れ、魂の流れ、、、
それを見続けてきたことが僕の意識の学び。
たくさんの意識を理解することがこの段階のテーマでした。
僕がブログ中で意識の在り方や心の姿勢が大事だと、
言い続けていたのは僕が意識を理解する者へ進む者だから。
小宇宙(コスモ意識)の一任。
意識 人 宇宙 神 粒子 次元
これらは別視点で捉えた「ひとつ」のものです。
どのアプローチからでも答えは「ひとつ」になります。
意識は僕がお役目として管理する役のひとつ。
僕は数年前に自分の意識の中で、
(お前はユタじゃない)と否定されました。
そして次にシャーマンを目指していたら数ヶ月前に
また同じように、(シャーマンでもない)と言われ、
それはどういう意味か?と思っていたら、
(中央にいなさい)と言われていました。
シャーマンやユタは「技」
そこから個々人と接する。木の枝の先にあるもの意、枝葉。
お前はそういった「枠」を作らなくていい。
木の中央に居てバランスを取っていろ!
この意味は中央とは宇宙のことで、バランスを取るとは、
人の意識の高さに合わせた自分で居なさいということでした。
僕の名前の持つ意味、「保」たもつは、
バランスを取る意味で付けられたようです。
ちなみに僕の名前は叔父が付けてくれましたが、
意味は聞いたことはありません。
そして話しは「役」に戻りますが、人は誰しもが管理する者です。
人は職場でお客さんを管理して任される。
でもこのお客さんたちも自分の職場(役)では、
逆に人を管理する側になる。そこに客として存在する人たちも、
また同様に自分の持ち場では自分たちが管理する者になります。
役は自分で決めてるし役はひとつでもない。みなそれぞれが
主役だし役の大きさも比べる意味はないということですね。