多神教たちの存在 Ⅰ

花屋

2009年08月06日 17:43

僕らの肉眼では「今」ここに存在している、
地球次元の世界しか観ることはできません。言わば人次元。
顕微鏡でのぞいた世界には菌やウイルスを確認できますね。
ウイルスが存在している環境も一つの世界で、
別次元と捉えてください。ミクロの世界です。
このミクロもさらにミクロな世界(さらに別次元)があります。
どこまで視覚で認識できるのかは解かりませんが、
最終的にこれ以上分解できない、
エネルギー的なモノにたどり着きます。これが
すべてのモノはここから始まったという「ひとつ」です。
神称号を持つ霊体も人体も植物も、
このつぶつぶの集まりで成り立ってますが
このひとつひとつの、意識エネルギーの質が異なるのです。
質の違いで存在する世界が異なります。




元のひとつという粒子に、存在が近いほど
砂のようにサラサラしていて全体に広がっています。
宇宙規模だと思います。でもそれ以上の視野から観れば
それも集合しているとれるのです。ワンネスです。


理解しにくいとは思いますが、
その粒子に想いが入ると粘着する特性を持ち始めます。
想いを持った粒子は、同じ粘着性を持った同じ粒子と
くっ付き合います。(同質のものは引かれ合うという理)
どんどんくっ付いて意識の集合体になります。

多神教の神霊達はこの状態です。
想いを持つ神霊、それが個性の始まりです。
個としての在り方が個性で、個々が多神を産みました。
個が子を産み繰り返しました。分神分霊です。
個性を持つ多神教レベルの神たちは喜怒哀楽しますよ。
想いがあるから喜怒哀楽が出来るし、
また、彼らから怒られたりも褒められたりもします。



多神教たちです。


神たちは存在がすでに「想い」です。想いとは情報です。
神たちは神次元に滞在しています。前にも書きましたが、
存在そのものはアピールなんですね。情報の塊です。
言わば神次元内で無限にチャンネル放送を送り続けています。
でも神個人によってチャンネル数が異なります。
ひとつの次元内でミルフィーユのように重なっています。
簡単に言えば、人の持つ意識の高さ(アンテナの高さ)で
受信チャネルが違ってくるのです。






多神教の存在の意味はそれぞれに特化した役割。
「想いの異なり」として役目。想いは与えられたのではなく、
身の内側から発生したもの。身の内とはもちろん、
最終的な「ひとつ」のこと。それは人も同じ。
人も想いを解消するためにここに産まれ存在しています。

やりたいことが見つかってない人もいるでしょう。
でもほとんどの場合、そんな人に限って、
大きなことをやっている他人と自分を見比べているようです。
いきなり、だいそれた目標をかかげてしまうようです。
自身のことを(才能が無い)(とりえが無い)とか言いますが、
想いから誕生した僕達にその想いを活かす、
才能が無いわけはありません。ただ自信がないのです。
誰でも小さな一歩から始めているのです。


「実績が無いから自信がない」という風に考える人が
僕の周りにもいましたし僕自身もそう思ってました。
でも実はこの考えは「ここに滞在してる意識上の見解」なのです。
その上の意識レベルに滞在できる人(存在たち)は、
「存在そのものこそ自信(自身)である」と熟知しています。
想いが形に成ったものが人。そこに住む意識の常識です。
心がそういう土壌にあると想いが育ちやすいと思います。





意識指数に応じて理解できることや
常識がまったく異なる場合が多々あります。
認識できることに違いがあります。
たくさんの人の意識が高まると、
固定観念が崩れて常識も変化していきます。






小宇宙と人の繋がりはこれが終わったら書きます(汗)
すいません^^;












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