小学六年生のころ。
当時の担任の先生が将来の夢について話していたこともあって、
学校から帰宅途中に自分の将来について考えていました。
なぜ考えてたかと言うと、僕の中には未来がまったくなかったから。
と言っても(将来に絶望してた)とか、そーいうことじゃないですよ。(笑)
未来を考えたことがなかったとか、そーいうことじゃない。
想像力がないために将来を見据えられないことでもなく、。
僕が子供ながらにいつも強烈に感じてたこと、。それは、
僕の人生は
大人になる途中でその道が途絶えていること。
それを強烈に実感していたことです。
いつもふと思い出すとその画が見えていて。
(もちろん当時はそれがヴィジョンだとは知りません)
真っ暗闇の中に伸びてる僕の歩く道が子供と大人の中間地点で途絶えているのです。
授業中、将来のことでワイワイと盛り上がるクラスの中で一人取り残される僕。
(みんなは未来があるから良いなあ)と想いつつも、
今、じゃないことで未来のことでこんなにも盛り上がれるとは。と、
違和感も感じていました。僕とは違う生き物なんだなって、。
自分の道が途切れている。
ただ、その意味は「死」だとは思っていませんでした。
見たいと思って見てたわけじゃなく、ふとした瞬間にその映像が現れる。
なんとなくこの世界から居なくなるんだろうなー的に思ってたら、
ものの見事にバイク事故。しかもピチピチの16歳。(ピチピチって)
三日間の意識不明状態が続いて、医者からは植物人間(状態)を覚悟してね☆
って言われたらしく、。だけど四日目に生還してからは奇跡の一ヶ月退院!(笑)
(入院)期間は三ヶ月と言われたんだけどね。回復がすごく早かったらしい。エッヘン
最近になってアレがそうだったんだろなって。
アノ事故で死ぬ予定だったんだろうなって。結果は違ったけど。
話しは変わるけど僕は神たちがやってることを一つだけ知ってる。
神たちが何に期待しているのかを知ってる。
それは人の可能性。言い換えると化学変化のこと。
人と人とが交わることによって起きる(科学)変化を期待しているのだ。
※SEXも科学変化
化学変化には良いパターン(成功)と悪いパターン(失敗、あるいは不発)がある。
科学変化の良いパターンは奇跡と呼ばれる出来事を指す。
(こっから話しは飛ぶんだけど)僕の場合、千手観音のヤーマが僕を見ていて
手にはいつも帳簿を持っていて(閻魔帳かな?)僕が何かを失敗するたび、
その帳簿にチェックを入れてるんだよ。しかもね、フツーは失敗したら、
怒られそうなもんでしょ。だけど無表情で淡々と書き込んでるんだよねいつも。
それをずーっと不思議に思ってたらさ、その返事が返ってきて、
「お前達がすることで、ことあるごとに一喜一憂はしない」だってさ。
ただ、(コトアルゴトに一喜一憂してたら神さま達は疲れるだろなー)って思った。
だけど奇跡が起きた時はそばで褒めてるんだって。
過去から続いてきた意識の流れをみるとその魂がどう動くのか、
やっぱりわかるそうだよ、、。それぞれの色んなパターンを想定してるんだって。
だけど人間って不思議な存在でね、その予測を超えることが時々あるんだって。
神たちはそこに期待してるって云うんだよね。ちょっとしたパターンのズレが
やがては大きなウェーブになって良い連鎖反応を産んでいくんだと。
彼らが期待してるのはソコ。だから僕が生還して想定パターンから
外れたときは(おやっ?)って思ったはず。笑