自分を知らない自分
連日、東京の気温は32°前後。うだるような暑さが続いています。
一足早く梅雨明けしたので、お仕事で新宿に通う僕にとっては
嬉しいかぎり!といっても、雨に降られたのは22日くらいで
あまり影響はなかったんだけどね。
今回は21日から東京入りしていて、ありがたいことに
連日お仕事をさせてもらってます。出張するたびにいつも思うのですが、
“必然的に引き寄せられて出会う”ような方ばかりです。
「スピリチュアルTV」や「琉球スピリチュアル」を通じて、
出会った関西の方々が同じタイミングで東京で会うことになってたり、
スピリチュアルな部分で繋がってた人や、僕と想いを共感する部分で
繋がってる人とリアルで初めて会ったりと、
これからのご縁を暗示するような方々と出会わせていただいてて
嬉しく思います。
僕と出会ってくれたみなさん、再会してくれた同志のような方々に対して
感謝します。本当にありがとうございます。
生まれながらに商才を持つ人
内在する周波数(振動する波動)で人の心の扉を開ける人
魅力という引力で人を惹き寄せ続ける人
親子関係や人間関係の苦しみから人の心の内側が解ってしまった人
遺伝する能力や劣悪な環境のせいで感覚が研ぎ澄まされて
エネルギーを感じ取ることが出来るようになった人
今回も色んな人と出逢いました。
その場所で産まれて、その家庭で育っていく中で
色んな問題が起きてくる。初期の職場環境も意味は同じ。
問題が後の自分自身を作り上げたり、本当の自分を知る上でも
問題が価値のある材料となったりします。
少し、現実的なおはなしをしますが、
今の世界は、少なくとも僕たちが住む日本においては、
世界的に見ても平和で秩序が保たれている国だとは思います。
それ以外にも日本は素晴らしい国だと感じることは多いのだけど、
好きなことをお仕事にしている人や、仕事にやりがいを
感じてる人が極端に少ない国(人種)なんだなぁと僕は思ってます。
(もちろん他の国でも似たようなことはあると思います)
鑑定をする中で、実に八割近くの方々が生活の為に仕方なく
今の仕事に従事していると答えてくれたのですが、
そこをあえて踏み越えて「やりたいお仕事はなんですか?」と聞くと、
答えられない(又は答えない・わからない)人が五割に達しました。
(悩みがあるからこそ鑑定を受けてくれていることはわかっています)
実際僕自身もそうでした。今の仕事をする前はやっぱり、
やりたいことがわからない人間で、“やりたいことがわからなくなる”
理由も僕自身の経験で理解しました。
人は、能力や好みとは無関係のところでお仕事しています。
それは、人が成長する中で家庭や環境で、好きなことを育むということが
教えの中になかったことが原因かもしれません。
昔ながらの一般的な家庭では子育ての在り方は、
子が持つ能力や好きなことを伸ばし増やす方向性ではなく、
“(より)安定した将来が約束されたお仕事”への道を
推奨していたように思います。もちろん子供のために。
安定した将来に結びつくお仕事にも、能力やスキルは必要不可欠で、
そのレベルに達するのはそれを持つ一部の子供たちのみ。
能力に向いていない子供たちはその勉強に取り組むほど、
劣等感や疎外感を自然に作り出します。
この劣等感が「誰もが持つ可能性の心の灯」を消してしまっています。
一部の能力が弱いだけ。それを知ることも学びではあるけれど、
そこをフォーカスし続けると(できない自分)を意識付けしてしまうのです。
例えば、バイト的な仕事はダメ、夜のお仕事もダメ、
人様に顔向け出来ない仕事はダメだと、親や自分自身に向けて、
特定の仕事にダメ出しをするのもおススメしません。(ダメ出しはしない)
脳や意識はストーリーを作り出せるほどに幻想的であり、妄想的。
自分を悲劇のヒロインに仕立て上げることなんて造作もない。
ありもしないネガティブストーリーを腐るほど産みだします。(笑)
いつしか「出来ない自分」が「自分は出来ない」という認識に変わり、
なにをするにも自信を失くしていきます。そして、
勝手に「何一つ上手くできない自分」という評価に変わります。
脳はネガティブに受け入れるのは上手ですから。
他人と自分の違いが浮き彫りになればなるほど、
その違いから、今度は「他人の目」が気になり始めます。
(ある一部分だけを指して)自分は他人よりも劣っているという
評価を下しているので、自分が居ると和を乱す、流れを止める、
というような考え方をしてしまいがち。
自分の能力に向いていない職業だったり、
自分の価値観にそぐわない仕事をしている場合にもそう感じます。
(自分は何をしているんだろう…)って考えたことはありませんか?
これは気付きでもあります。さっきの例えと同じように、
(劣った自分が居ると迷惑がかかる…)というネガティブな思いが
(自分なんて…)や(自分が居ないほうが…)となり、自分に向いてないことや、
やりたくないこと(※仕方なくやっていることも含め)をやっていると、
自分の価値や存在を疑ってしまい、やがて無価値に思えてくるのです。
無価値感という感覚はいわば光が届かない閉ざされた空間。
人と関わっていても、それはどこか他人事で絵空事。
当の本人はこの世界に孤独や違和感を感じています。
意識は次元であり周波数。
譜面が世界だとすれば、音符は魂といえます。
別の意味でその音階に囚われていると
誰とも交われない状態に作ってしまいます。
でも大丈夫です。
どんなことがあっても大丈夫なんです。
僕は自分のミスや過ちでそういう経験をどっさりしてきています。
もはやグルっと5周くらいはしている感じです。(笑)
今までにどんなことがあったっていいんですよ。
今の状況の自分を許して…というか少しずつ認めていく、。
過去は過去であり。そうなるしかなかったという認識に変える。
僕のことで言えば、地獄や針のむしろと思えるようなことは
何度も経験しました。感受性が強いせいで、人が思う以上に感じてました。
何度も死のうと思いましたよ。(笑)それこそ何度も。
当たり前ですけど、みなさんは僕が経験してきたことや
感じてきたことの一部分しか知らないとハズです。
何度か死にそうになりましたけど僕の肉体は生きてます。だけど
心は何度も打ちのめされて死んでます。(笑)死んだように生きて、
みすぼらしく生にしがみついておこぼれで生きていたはずなのに、
今では調子にノッてこんなブログまで書いて、
人様に見せているような僕です。(笑)
過去に何度も犯罪を犯して、警察のお世話になりました。
汚いこともたくさん経験して生きてきました。
人を強く恨んだことも、羨んだことも数知れず、。そんな僕が
今では気持ち良く過ごさせてもらってるんです。
こんな僕でさえ、心豊かに過ごせていることを踏まえて考えると、
誰もが、絶対に、幸せに、心は豊かに、なれるはずなんです。
神田駅近くで一人で立ち飲みしました。とても幸せでした。
どのみち、結局、どんなことがあったとしても、
人は幸せになるしか、道はない。
どんな不幸な道を歩いていても、
結局、幸せへの道を歩くように仕向けられているんです。
幸せになるために僕たちがやるべきことは実はカンタンです。
それに気付いて、決断するだけ。そして、変わりたい人だけ変わればいい。
シュミレーションしてプログラムを組んでスケジュールを組む。
今を変えたければ、今、この瞬間に決意するだけ。
必要なのはこの瞬間に幸せになる覚悟だけ。
覚悟が自分を変え、覚悟が環境(道のり)を変え、
環境(道のり)が、出逢う人を変えるのです。
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