⑤鏡の世界を超えて~

花屋

2014年02月23日 23:21

前回の続きは→コチラ



無の世界で僕がとった行動は、、

やりたいことに素直になった。

それだけです。でもそれってとっても大事なこと。





鏡の世界を抜けると、今までの常識が

自分の中の常識が自分に通用しなくなる。

要らなくなった古い考えをスルスルと手放し始める。

手放すことに対して執着は起こらない。

心の中で壁となっていたモノ、問題となっていたことが、

姿を消していくのです。







そこに空虚感が漂うのです。

問題となっていたモノは次々と無くなっていく、。

その感覚は心にぽっかり穴が開くことに似ています。

今までいつも心の片隅で考えていた事柄が消えた。

そこに物足りなさを感じるのです。

悩む = 考えるべき問題があった という構図。













鏡の世界では、

問題を考えると向き合う姿勢になります。

それは対峙するということ。

そこには協調性がないのです。横並びになれない。




無の世界では向き合いません。

向き合う相手がいないからです。

問題を全体から見据えてしまうのです。

ただ観るだけ。




問題の中に入ると考えに埋もれて苦しくなる。

身動きが取れなくなる。

無の世界では全体を通して観ることにより、

問題の裏側に隠れた真の答えにも気付きやすくなる。





鏡の世界、。

それは人と対峙しやすい構図。

そして人間には感情があり、目の前にやってきた人が

自分の中の問題を持ってくることに気付けても、

少なからず感情は残る。それは、

自分の不甲斐なさだったり、憎しみだったり、。

問題が延々と目の前にやってくることによって、

人は溜まる(ストレス)のです。




ストレスを解消するためにはあれも必要、

これも必要、それもやらなきゃとかとか、、。

ふぅ、。面倒くさい。

ストレスのことを書くと書くことが面倒くさくなるー。(笑)








心の中にぎっしりあった問題等が、今はなくなって、

そこに風が吹く。初めてそれを経験した人々は、

それを隙間風だと感じてしまう、。







確かに、、。

確かに隙間風と言えなくもない。

問題が心を埋め尽くすことによって、

心に風が当たる感覚を忘れ失ってしまったのです。

吹く風に淋しさを感じているのです。










心が空っぽのような、。

そんな感覚に不安を覚えて淋しくなる。

でもそれは、風の流れを感じられるようになった証拠。





おめでとうさん。

ふぅ。 もう楽に書きますね。(笑)

大丈夫。いずれ不安も消えるから。

単純にこの感覚に慣れるからとも言えるけど、

この心の中の空白(問題がひしめき合ってた部分)に、

今度は楽しい事柄を埋め尽くしちゃおう。










そうなるための道のりだったんですよん。

鏡の世界は通過点~ ♪

自分の意識に新しい観念が備わる。

鏡を観て物事を左右するのではなく作用。

自ら動いて作用していく。 ここは自主性の世界。

心に自主性がなければココにはたどり着けませんよ。

神や守護存在たちはそこを観ていますよ。

主の赴くままに、。自(主)性の赴くままに、。




あ。また良いこと言った!ΣΣ(゚Д゚;)(゚д゚lll)








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