自分の想いを昇華できないことってとても苦しいです。
霊は身体がないので想いを消化するための行動ができないし、
想いが自らの足を引っ張って昇天(昇華)できずにもいます。
神界と人次元の間のチャンネルに存在しています。
~意識が御嶽に居る場合があります~
続きです。
御嶽に居る霊の場合、自分が成しえなかったこと、
(世の為人の為の働き)のことを、自分に代わって
生きている他人に自分の教えを伝授します。
育てます。育て上げようとします。
育てあげられた人を補佐して助けます。
その人は授けられた教えなどで人を助けます。
その行為(人を間に立てての人助け)の結果次第で、自分(霊)は、
成仏(天に還ること)できるだろうと考えていると思います。
僕も自分の想いを消化(昇華)できたら還れるとも思います。
これは良い悪いという判断のお話しではありません。
今回も実体験を通しての僕のお話しです。が、
すべてそうだとしてうのみにしないでくださいね。
一口に霊と言っても、その霊を構成している意識エネルギーの、
数値レベル(意識指数)は霊によってさまざまです。
御嶽などに居る霊は「神」称号に近しい者たちも
いますので無礼があってはいけません。
(神称号と神界のお話しはまた今度に‥)
まず、自分(霊)が存在している意識レベル上で、
霊は信号(サイン)を発生し続けます。
人は生活の中で常に意識指数を上下させていますが、
チャネリング特性を持つ人がそのチャンネルに合ったときに
その情報(ビジョンなど)をキャッチします。
僕も何度か“ お呼ばれ ”したことがあります。
意識内に現れたり、夢に出てきたりしました。
僕は神に仕える身だと、それだけは知ってたので、
その霊に指導されようとして
受け入れる姿勢をとってました。
だけどその後の僕は、その霊を受け入れるのではなくて、
昇天させる方向へと自分の意識をチェンジさせてました。
この御方と意識を重ねる内に、彼の途方もない悲しみと苦しみが
僕の意識内に流れこんできたからです。
はんぱない苦しみでしたよ。
彼の持つ苦しみと僕の持つ苦しみは同じでした。
それは「縛り」と「偏見」でした。詳しくは
彼に対して偏見がまわりで起きて、
それらに迫害受けたために自分で自分を縛ったのです。
この時僕は、縛りと偏見の人生を何度も輪廻転生してきた
自分自身を深く知って号泣しました。
この御方は鏡に映ったいつかの自分だと解かりました。
だから自分だったのです。
現れたのはたった一度きりでしたが、
クバ御嶽から帰ってきてから、ずっとそばに居て
守っていてくれてるのは解かりました。
僕に出会えたときの喜びのまま、ずっと笑顔で。
実際に苦しみを訴えてきたわけじゃないんですけどね、
「この方の縛りを解放させてください。」
「神あがりして神界にお戻りさせてください。」と、
延々と何日も天に願いました。それからは出てきてません。
祈願するあいだ、とても淋しかったことを覚えています。
自分の半身だと思ってる御方なのに、
(なんで自分は昇天祈願をしているのか‥)
理解出来てない自分をよそに、
そうせずにはいられない自分がいたこともまた事実でした。
でも今では成仏してるとは思いますよ。
それは僕のここ数年での、いくつか霊媒体験のおかげ。
過去ログを見れば分かりますが
霊エネルギーの昇天のさせ方は経験済みで、
成仏する理由も心で理解しています。
でも、
僕が霊に意識を重ねて霊を理解する、
この霊媒師のようなやり方は、
とっても危険なのでお勧めしません。
頭を抑えられて無理に歩かされたり、
死んだときの痛みもバンっ!って重なったりするので。
人は念を飛ばすけどその念を天に還すのも人です。
僕は自分の言葉は天に届くことを知ってます。
誰かが僕の言葉に耳を傾けてくれてることを知ってます。
なので家の拝みとかも自分から、かって出ます。
人間は親(先祖)があっての子(子孫)ですからね。
自分たちの存在のありがたさは感謝を持って伝えなければ。
今では自分の中から発生してくる想いの出所、
そこはどこなのかはっきりしています。
そして僕は「花屋」です。
花屋の中にコスモ(宇宙)ス(複数)があります。