言葉にしてしまうと時に軽くなってしまうのですが、
人が産まれてくる意味というのは、
たくさんの言い方や言い回しがあるだけで、
みんなひとつどころを目指している。と僕は思うんですね。
でもこの“ひとつどころ”というものを一つの言葉にして
(これが答えですよ)と掲示してしまうと、
その言葉の枠内の限定された意味になってしまい、
ある人には最も答えから遠ざかってしまうことも考えられます。
職業や趣味においても楽しみ方で関わり方が異なるように、
人それぞれの意識は性質が異なっています。(違う観点では同質)
自由で伸び伸びと意思の赴くままに人生を謳歌した方が、
かえって全体のバランスが良かったりするものです。
個々のバランスが取れていると、
全体から観てもバランスが取れているというわけです。
あえて他人と異なる必要もなく、
あえて他人と同じである必要もない。
そこに強制の力が生まれるとバランスを崩す。
【言葉は想いの一つの側面に過ぎない】
それぞれの意識にはそれぞれ思い入れがあり、
また、想いは限定された限られたものでもありません。
想いには複数的な意味があり、また、それらも他と繋がり合っているからです。
(主的な想いのテーマ。それに準じる副的なテーマもある)
(それらも他と繋がり合っていてすべてが繋がっている)
本人は知らずにサブテーマを目指していても、
ある時点からメインテーマに気付いたりもする。
サブテーマが間違いということでもない。
目指しているモノ(者)が答え。 歩いてると解かってくる。
言葉は形や記録に残ったり、時に一人歩きもしますが、
想いは見えないし聞こえないし触れない。(匂いもない)笑
でもその証明できないものを確信的に信じてる。
元々同じ土俵に存在するものではないので比べようもない。
言葉とは想いの一つの側面を表す代弁者のようなもので、
完全に形容して表すことは出来ませんが重要なのは、
どこまで形容して表すことが出来るのか?なんですね。
意識の中に生まれる想いを解消(クリア)していく。
それは行動でだったり意識上でだったり。
意識上って例えば自分(他人)への許し。トラウマの解消など‥。
自分自身へ愛情をかたむけなさいという気付かせだったり。
注)行動と意識を別けて考える必要もありません。
(アレがしたい)(コレもやりたい)
(ソレが気になる)(いつかやってみたい)
想いの強さや深さはさまざま。
意識の中に絶えず生まれる想いが人を突き動かす。
想いとは人が動くための原動力(エネルギー)で、
それ自体が目的だったり、ときには、
(それこそが自分そのものだ!)と思えるものもあります。
意識の中に生まれる想いは人を導いてますが、
(これぞ自分だ!)という感覚に中々出会えずに、
ピンときていない人もいるでしょう。
(なんとなくこれかなぁ…)と、
手探りで歩いてる人もいるはずです。
人はある意味同じであって、ある意味同じではなく、
みんなどこかしらの存在の在り方が
少しづつ異なるのです。
必ずしも誰かの言うようなことがぴったりと、
当てはまるわけではなく、人によっては
手探りの状態からそれを経た後に(これだっ!)として、
その想いが生まれてくるときもあるでしょう。
また、誰の言葉のテキストも当てはまらないことも、
もしかしたらあるかも知れません。
どんな世界に進むにしても言えることだけど、
誰かの敷いたレールの上だと想うように歩けない人も
実際にいるんですね。(僕もそうです。)
そういう人は初代の人生を持っていて、
レールそのものを作る人、道を切り開く人だと思います。
人一倍苦労もしますが、成し遂げたときの達成感もまた大きい。
世の中に溢れているさまざまな情報を見極める。
その情報の中から自分の(想い)に当てはまるものや、
自分の経験としっくりくるものがあります。
生活する中に普通に学びがあり、どこででも
何をしていても学べます。何も特別なことはありません。
遊んでたって学んでいます。ただ、今は遊んでいるから、
として、気付いてもスルーしている場合が多いでしょうね。
(しまった!これは僕のことだった☆笑)
学びはやってくるという言い方も出来るけど、
今という瞬間に自分が気付き起こすものでもある。
誰の元にも学びや気付きはやってくるけど、
学びにはぼーっとしてると見過ごしてしまうものもあります。
誰でも気付けてしまう範囲の問題だけが学びじゃない。
今という瞬間に気付こうとする、気付こうとした分のことがやってくる。
気付こうとする姿勢は素晴らしいですね☆
でも今度は上で書いたこととは逆のような発言ですが、
僕は学びを『 崇高なもの 』とは思ってません。
学びとは生活の中にごく普通に溶け込んで存在してて、
誰の手にも届く範囲にあってそこかしこに溢れている、
そんな認識です。そして、
誰か特別な人だけがそれを学んでいくものでもありません。
起こるべきことが起こるべきときに起こるべき人(グループ)に、
起こっているという捉え方。
アナタに関わってる人達は、
何らかの学びを分ち合ってるメンバーです。
↓が分ち合い度で、意識思考(指向)の流れだと思います。
家族関係内>友人関係内>職場関係内>地域内>国内>地球内>宇宙内
わざと“内”を付けてみましたよ(笑
気付いた人はマジですごい。実はある意味“外”がない。
これが本質の「内なる自分自身」のことで、
どこまでいっても内側で、無限の宇宙でさえ内なるものなんです。
アナタの内側でアナタ自身の本質です。
すべてのものが繋がっているんですね。
それでも優先順位はあります。
まずは僕やアナタの小宇宙(心の領域)から、
探求していって問題があればクリアしていくこと。
また、バランスの取れている人は
いくつかのレベルで同時にこなしているでしょうね。
自分の中のことがある程度解消できてくると、
アナタの意識にそのサイン(兆候)が表れるはずです。
多分、そのサインは人それぞれです。
僕の場合は想いとしてそれは現れ、
翻訳するとクリアという意味の「 OK 」でした(笑
だけどその当時はOKの意味が解からなくて‥。
長年、問題と格闘していたモンだから僕の意識の中に
(人は問題があって当たり前)というヘンな固定観念を作ってた。
そして意識が問題の底にたどりついたのか分からないけど、
問題が問題と思わないレベルに押し下がってしまったんですね。
そのときすごく慌てましたよ。おろおろと。
「問題がない!問題がない!問題どこいった?」ってね。笑
その慌てた理由は問題が消えたことで、
心にぽっかりと穴が出来てしまったことと、
対戦相手がいなくなったことで、ありあまるエネルギーを
どこに向けていいのか分からなかったことでした。
でもその後が不思議でした。
あれほど騒がしかった意識内に(笑)
穏やかな時間が流れ始めたんです。その時の感覚は
縁側で日向ぼっこするおじいちゃんです。ぽかぽかです。
でもその気持ちと同時に思っていたことは、
(あぁ。僕はもうお役御免(役目)なんだなぁ‥)という思いでした。
そのことで友人の静香さんに相談したら、
「人のことが出来るように(受け入れる為に)
スペースが出来たんじゃないの?」って言われたんです。
どどーん。衝撃でした。笑
こんなことをあっさり言う静香さんにも内心驚いてました。
でもその言葉に深く納得している自分もいました。
今考えるとあの穏やかな時間は自分への『ギフト』でしたね。
実際は問題をすべて解消したわけではありません。
捨てるものは捨て去って、(クリアして)
解消という行為で片付けられないパターンのものは、
在るべき場所に収納している感じでしょうか。
作業効率を上げるには机の上を広く使い、
本棚や引き出しを使って巧く収納してすることですね。
整理整頓は意識にも言えることだと感じてます。
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ぼたんが収納できず。。。