ワンネス(ミクロとマクロ)

花屋

2008年12月10日 21:45



ひとつ解ったことがあって……
自分の中の真実に辿りつくには、
思いつめる位の気持ちの強さがないとだめなんだってこと。   

それこそ、周りを気にせず
一心不乱になるのもいいと思うし…、実際そうしてたし。


僕はそんな時、自分を鬼とか夜叉だと思ってました。ホントに。
もちろんビジョンの中の自分が、です。


ぐわーっと口から火を吐いたり、
時には身を焦がしながらキーを叩いてたり、
恥ずかしいけど泣きながらブログ書いてたりさ。
(本当に身体が焼ける痛みがあるんだよ)


でもそんな思い詰めた状態の時に
僕がいつも思ってたことは、
(間違った自分なんかどこにもいない)ってことでした。


鬼や夜叉に変わるのは嫌いじゃなかったし、
(あ、変わる時だ!)って自分で分かる(笑


鬼や夜叉が嫌いか?と聞かれれば
「別に」と応えます(笑




それぞれの奥底に眠る得体の知れない感情や
意味の解らない理解できない想い。

それらの正体を探るには、時には夜叉のように、
一心不乱になって突き進む、
想いの強さが必要だと思うからです。

周り(周りの否定などの意識)など気にしない、
何者にも負けない強さ。





深層の意識は僕たちの表面の意識では
到底、理解することが出来ない程の大きさを持っています。


その広大な意識の海からたったひとつの
自分なりの答えを探し出すには、
強靱な精神力が必要。


突き進んで… 突き進んで…、
やっと辿りついた奥底に、
悲しみや怒りの正体を見つけ、
あふれ出す感情の意味を真に理解する。

このとき、
表面の意識と深層の意識がつながり
表層の意識に持ち上がってきて、パァーっとはじけ、
抱えていたモノの一つが昇華(浄化・消化)する。
人によっては開放とも言う。



解りにくいけどさ、想いは昇華しても
散って無くなるわけじゃないんですよね。
オセロとおんなじ、クロだったものがシロになっただけ。
質が変わったという意味です。



ひとつ、クリアになっていくごとに
意識が高くなって身も心も軽くなります。
この感覚はあながち間違ってないですよ。

意識が軽い状態になって
どこにでも流れていける、それが精神の柔軟性。
この状態の時は思考が柔軟性に富んでいるので、
あらゆる物事に対応できる意識の高さを持っているんです。

高い意識に滞在してる時は悩みに悩まないよ。
そんな時にわざわざ悩むなんてもったいないさ~(笑


悩みの理由(この想いはどこからやってくるのか)を、
深く掘り下げて、自分なりに答えを見つけていくうちに、
だんだんと、悩み癖がなくなってきてると実感してる。

ある程度悩んだら(もう悩みはここまでていい)
と思えてきたから。




(抱えている)とは問題のことでもあるけど、
問題を両手で抱えていると身動きがとりにくい。

この状態は物事に対して
一点集中してしまうことだけど
意識を広げて周りを観ることも大切。

だけどその前に自分の中に目を向けて、
「意識を掘り下げてみて!」という合図だと思うわけ。

解決しなければならないことは、
自分の内側にあって、心の在り方なんだよ。と、
教えてくれていると僕は思うんだよ。僕はね。





人が「意識が高い状態」にあるときって、
周りが引き起こすマイナスの行動や発言に対して、
寛容に受け流すこともできる。

でもさ、
逆に受け流すことが出来ずに、
この想いから逃れることが出来ないときは
逆にチャンスだと思うんだよね。
そこに問題の糸口があると思うから。


マイナスの想いや発言が出そうになったとき、
間を置いてみると分かるよ。
ここが自分と向き合う場所だって。

そうすると、
外(他者)に対して意識を向けるのではなくて、
常に「問題は自分の内側にあること」が解ってくる。



自分の意識がクリアになっていくのは、
視界がクリアになっていくことに似てる。

クリアになればなるど、
物事の本質が見えやすくなるから。




僕はいつも心の内側のことを
口うるさく言うけどね、僕は思うんですよ。

僕らの深層の意識そのものが宇宙存在なんだって。

だから内側を観ていながらも、外(宇宙)を見ていることになる。
僕にとってはこれがとてもバランス良くて…(笑

こうなってくると内も外もないけどさ、(笑)
ホントはそういうことなんじゃないかと思うんだよね。


だってさ、
僕自体も僕の1ミリ目の前も、全部が宇宙なんですよ。

ワンネスって、すべてのことが全部内側に存在してて、
そのすべてをひとつにする方法のことだって気付いたんです。


今まではただの言葉だと思ってたけど、
すべてをつなげることの意味だと気付いたんですね。



僕はそう思ってるけど…

でも違う答えがあったっていいんだよ。
人の数だけ答えがあったっていいんだよ。
自分とは違う答えがさ。

さすがにそれを理解できなくても、
“どんな人でもこの世に存在していい”わけだから
肯定して認めていくことは容易に出来るんだよね。


どんな人の中にも自身の心の中にも
何かを誰かを否定する気持ちがある。

自分でもまだ気付いてない色んな感情があるはず。
自分の中に生まれる意識は(すべて自分なんだ)肯定する。
たくさんの意識は自分。すべて自分。自分時分(笑

たくさんの意識が自分の中の
ほんの一部分なんだと気付けばさ、
他の誰かの意識だって
自分とは違うけども、大きな意識体の中の
ひとつの側面なんだって言う風に理解もできるさ。

(異なる思いをつなげること)が自分以外の他を知ることになって、
それが広く深い意識(知識)をつくる。意識が高くなる。



自分の中の気持ちを認めているから、
目の前の相手も、その言葉でさえも認めることができる。
それぞれの中にそれぞれの真実があるんだってね。
想いや人を結ぶことが集約したチカラを産む。




上から見ると全体像が見渡せるように、
普段から視点を高めることを僕は心がけています。

あっ、性格を変えることではないですから。
意識のことですから。


ナニを考えてナニを考えないのか、
ということですね(笑)違うかぁ~ ^^;



それぞれにある自分の中の真実を
それぞれで構築していった方が良いと思います。





そろそろ僕の一点集中がスタミナ切れ~
なのでこのへんで終了~(笑


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