ありがとう、伊藤園(笑)
日曜日に雫ちゃんから、
山水画を描くドキュメンタリー番組を教えてもらって、
それが終わった後もテレビを見てました。
さんまの番組の中でCMをぼーっと見てたら、
お茶の伊藤園のCMが流れました。
(あぁ……伊藤園も伊なんだなぁ…。)
ぼけーーっとしながら見てたら…
あれ……?伊藤???
あーっ、思い出したーーー!
前に夢に出てきた、
伊藤重蔵って人も『伊』の人だったんだ!!!
なんだよ~、そんな前から
伊のつながりを教えてくれてたんだなぁ。
あー良かったよ~、これで僕は
また少し自分のことを信じられるようになったさー。
伊藤重蔵の話
2008年4月25日過去記事
「アンタ、誰?」
http://gaiax3.ti-da.net/e2115032.html
もしかしたら前世っていうのは、
血筋を越えたところにも存在(点在)して
現れるのかも知れないさぁ。
だとしたら伊達政宗も気になるなぁ、、、
(伊)繋がりだし、独眼流だし(笑
僕は内地に関係が強いんじゃないかな?って
思ったことがあって…それはあながち、
間違いではない気がするんだよね。
上の過去記事の中では
僕は青森のイタコに見習いに行ったんだけどさ、
(青森弁で言い争ったから僕も青森県人だったんだろう)
イタコって盲目の人が関係してることが多いわけ。
そんで伊達政宗は片目を病気で失ってるわけ。
それも伊達政宗は青森の仙台藩士だったわけ。
んで、(伊)繋がりだわけ、身長も僕と一緒だわけ。
ほんでまだ理由があるわけさ。(わけが多いさ)汗
青森、目、伊つまがり、違った繋がり。
伊達政宗がイタコと繋がってる話じゃないからね(^^;
最初はどんな可能性も視野に入れる。
まずは自分を信じることから始めないと、
どんな可能性も可能性のまま終わってしまうから。
あとは時間をかけてじっくり裏を取る作業をするだけ。
僕らは過去に生きていた記憶を持ってる。
持っていながらも、今は新しい自分という意識も持っている。
僕が想うにはさ、
今抱えている悩みや苦しみってあるでしょ、
それを開放しないと、また来世に持ち越すと思うんだよね。
持ち越し続けて今の僕らに至ってるから。
色んなことを継承するチヂウリを見たら納得できたさー。
もうかなり前になるけど、
僕は地球に誕生する以前の最初の記憶を
観せてもらったことがある。
観せられたというか、
深層の意識に埋もれてたものなんだけど、
それが時に現れたり、またすぐに沈んだりしてました。
でもそこに焦点を当てる機会がなくて…
焦点を合わせる意味がないと思ってて…
そして僕は僕の精神に
害のあるものや意味のないものを、
無意識に封印して魂の奥底に留めておくことが
得意(笑)だったのでそれも関係していると思う。
だけど
本当に大事なものっていうのは封印さえも破って
ベストな状況で現れてくる。
しりえいさんから始めの頃に言われたことが
キーワードでした。
(少しづつ記憶が蘇ってくるはずよ)って。
しりえいさんは人を育てるのが上手だよ。
この言葉に僕が持ってる記憶を
『信じるから確信へ』持っていけることができました。
この時、
僕の中で何が起きてるのか?というと、
このビジョンに戻り、
さらに詳しく情報を探っているんです。
もちろん、
簡単にチャンネルを合わせることは出来ないから
何度も何度も挑戦して意識を合わせる。
時にはそのことから離れて、
頭の片隅に置いてる状態に思い出すこともあります。
少しづつ思い出してくると、前は視野が狭かったビジョンが、
広がって見ることが出来たり、
以前には気付けなかったことも
気付けたりすることがあります。
前によく言われたことがあります。
(花屋さんの夢は情景が見えるようだ)とか。
(想いが伝わってくる)とか。←嫌な思いのことです。汗
こんな感じでコメントをもらったことがありますが、
僕はコメント全部ひっくるめて嬉しいですね~。
僕は嫌な想いも気持ちの良い想いも、
余すところなく忠実に再現して書いてる(つもり)だからです。
心地良いときの心情、
嫌だったときの心情は、
それを見た方の心にあるもの、
心に抱えているものに響きます。
記事の良し悪し関係なく。
僕が気持ちの良い記事ばかりに傾いて書かないのは
人はどんな気持ちになってもいいと思ってるから。
嬉しいことも苦しかったことも
ぶちまけて書いてもいいさーね。
嬉しいこと苦しいことの両方から
人は気付きを起こして、学び、実践し、成長しる。^^;
質問の方;「私は光(神)ばかり意識してるのに何故、
試練を与えるのですか!?」
志村けんの神;「あ~あたしゃ神だよ(笑)
天(上)ばっか見てたからじゃねーの?^^;」
注)フィクションです。笑
光に限らず何かに依存(執着)しすぎると
そのことにしか意識がいかなくなって、
目の前の小石にけつまずく。
光を照らすのは神だけど
道を歩くのは人(の足)
光を見て前を見て、そして時には振り返る。
それが嫌なことでもです。
常に状況を見据えて落ち着いた行動をする。
口で言うのは簡単だけど、僕はこれが大の苦手。笑
時には熱中してしまうほど
意識を集中させることも必要。
それで社会が大きく発展を遂げたかも知れないので。
すべてのものごとって、
何が悪くて何が良いということだけでは
片付けられないんですよね。
いつでも柔軟な思考ができるように。
色んなことに対応できる自分であるように。
あくまでもニュートラルに。
心に遊びの部分を作って。
自分にやってくる楽しみや苦しみ、
それらとうまく付き合っていく。
苦しむ自分を客観的に見て、
笑い飛ばせるほどに心を強くする。
その鍛錬には 喜 怒 哀 楽 です。
想いを何度も経験するうちに心には慣れが生じてくる。
これが何事にも動じないというの不動心。
人生を重ねてきたおじぃ、おばぁの中に
不動心を感じるときがあります。
注)不動心は感情がなくなる、
薄くなることではないです。
ブレに対して強い軸を持っているという意味。
あくまでも僕個人の意見です。意味は辞書でどーぞ。
この想いに揺れて揺らされて人(精神)は強くなっていく。
結局、そのことにたどり着くんだけどね。
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