久米島に呼ばれた理由 僕の問題編

花屋

2008年09月13日 02:38

さて、本題の宇江城城跡(ウエグスク)です。
眺めの良い眺望や、身体を通り過ぎる心地良い風は
素晴らしく気持ちが良いのですが、
頂上の真ん中にあった大きな石たちはちょっと違ってました。
触って感じてみると石たちが嘆き悲しんでいるのです。
これは初めての感覚でした。
人を触ったときには、悲しみを感じたことはありましたが…。

(アナタは誰ですか?)
(どうしたの?)
(僕は具体的にはどうしたらいいのでしょうか?)

とたずねてもひたすら悲しむだけ…。
僕も思わず目に涙を溜めて
言葉が詰まるほどに、ただただ悲しみだけが伝わってきます。
(そこに居る方に話しかけなさい)
と言われたからたずねてるのに。。。

感情だけでは話になりません。
それでも僕は僕に出来ることをやろうと考えて、
「不浄な念を氣で浄化しよう!」と思った瞬間、
妙に恥ずかしくなってしまいました。

以前までは、対象に手を向けたり触ったりして
静かに氣・外気功(霊気)だけを流してましたが、
最近は外気功だけではなく自分の中にある氣、
内気功を練って質を高めてから押し出したり投げたり、
時と場合に合わせて動作も変化させているのです。

身体全体を使うので緩やかですがダイナミックです。
人前ではまだやったことがなかったのです。遠隔の時だけです。
太極拳とカメハメ波を併せた感じと言えばわかりますよね(笑


どうしても人前でやる勇気が沸いてきません(汗
腰を下ろして岩に手を当て、レイキだけを流してました。
ですが、レイキのエネルギーは無限なのですが、
力が緩やかで爆発力に欠けるんです。

(イメージで丹田で気を練らなければ…)
(でもそれには身体を動かさなければ…)

  氣は経絡を通って循環しています。
  それを身体の動きで加速させたり
  自分の身体も浄化しながら氣の質を高めているのです。
  と僕は思ってます。

結局、
今回は僕が人目を気にするあまり、
気を練ることが出来ずに
応急処置というかその場しのぎの氣を送ることしかできませんでした。
もちろん二人の友人も手伝ってくれて三人で対応していましたが…。

久米島の方と僕の意見は一致していました。
≪あの石組みを壊して元の普通の石に戻すこと≫です。
お賽銭を入れるという考えを無くしたいのです。

そうしないと願掛けの願いのせいで、後々
あの場所が「聖域」から「霊域」に次元を落としてしまうでしょうから。
願いごとがあるならそれぞれ家で願えばいいのです。
神社でもない場所にみんなで集まって願う(欲求)から
だんだんおかしくなるのです。

  ウエグスクこそ、レイキサークルとか
  レイキマラソンがふさわしい場所なんだけどなぁ。
  久米島ではウエグスクは“光が降りる神聖な場所”と
  言われているので何も心配はないですよ。


僕の問題のせいで浄化に失敗した…。
先月、辺戸岬の先端で祈りをしたときから
この問題には気付いていたんです。

絶え間なく観光客が出入りする辺戸の突端に小さな排所があるんです。
恥ずかしかったのですが、
思い切って腰を下ろし手を合わせて目を閉じていた時、
僕のすぐ横の方で女性が失笑したのです。
それでも構わずに祈り続けました。

僕が祈った相手は誰だかわかりません。
でも相手からのメッセージは…

  (静かにしてほしい…)
  (そっとしてほしい)でした。

失笑されたことは偶然じゃありません。
僕はここがうるさいことを味わったんですね。




ちょっと話がズレましたが、
僕はこの“人の目が気になる”ということを克服したくて
あれからずっと考えていました。
この学びをどう乗り越えて行こうかと考えてたら、
一つの案が思い浮かびました。

視点を変えて“カタチから入ろう”と思ってます。
これは実際にやってみて効果アリだとわかったら
ブログに書こうと思ってます。










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