お前とオレとは違う。そんなときどうする!?

花屋

2008年07月27日 17:52

昨日は休みだったので、久しぶりに中央図書館でちょっとまったりした後、
本を借りて家で読んでました。昨日のことは次に書くとして…。



今回は僕の反省文です(笑)
前回の話で僕はこう書きました。

 > 霊的なビジョンを見たり、霊的な者とコンタクトすることが「学び」ではありません。

自分が書いたその言葉が心に引っかかって…。ずっと気になってました。
自分で書いてて申し訳ないけど、《これは間違いだ》と思っています。

この世で起きる出来事や、身を持って体験し理解したことすべてが
「学び」だと、改めて思います。


何事も否定してはならない。否定からは何も生まれない。
これは僕のスタンスでしたが、
その考えから外れていましたね。どーもスイマセン。



そんなことから始まった今回の記事ですが、
否定とは“別けること”である。

と、「バシャール」という本で書いてありましたが、
最初はまったく意味がわかりませんでした。


例えば他人が「僕の考えは○○です。」と述べる。
その意見が自分とあまりにもかけ離れていると、人は拒絶反応を起こしてしまいます。


経験してない人にはそれが理解出来ない時がある。
育った環境によって経験の違いが出てくるので、
他人の意見が理解できないのはある意味当然のこと。
人間は自分の考えや価値観がベースとなってるからです。



人間はフィルターや色めがねでモノを見ている。とか、
自分のものさしで世間を見るな!とかいうのを聞いたことがあります。

僕はそういったことすべてがいけない!とは思えないんです。
人はそうやって“自分の心や信念を守っている”時があるからです。
その人が守ろうとしているものを僕は壊せません。


人は自分の考えで生きていて、自分の経験で活きてきた。
やがてはそれが個を作り上げていくわけです。
(違いを持ってそれぞれの《個》と成す・完成する)
それで自分軸という塔を築きながら、完成を目指すわけですね。

だから極論すると「自分は正しい」で、「他人は間違い」となるわけです。
そうしないと自分の軸がブレてしまうので。


やっぱり人は、同じ考えや価値観を共有してる人に安心・安定を覚えます。
そのために学校や職場、環境でも
自分と異なる人・考えを、別けたり排除したりしてしまうことがあります。
自分にとって居心地の良い環境を求めるためですが、これも仕方のないことかもしれません。




話は変わりますが…、
物質とは作られたモノ・物・者ですね。
人であってもその原理からは逃れられません。これはルールであり破壊と再生の仕組みです。
やがてはすべて消えて無くなります。

地球ももちろん物質で、いずれは消滅するということです(地球人というくくりも今だけ。本当の正体は?笑)
僕たちの心は永遠のモノなのに、現実という世界は永遠ではない。


僕たちが常に望むことは《幸せであること》なのに、
ここには限られた幸せしか存在しない。ということになります。

それでは永遠である僕らは、ここへ何の為にやってきたのでしょか?

体験学習です。身をもって学ぶことです。
色んなことを見る、触れる、聞く、匂う、味わう。
そうすると、どうなるのか…!?

「あの匂いとこの匂いは違う。」
「あの味と、この味は違った。」

学べば学ぶほどにたくさんの違いを知り、理解出来るんです。


家庭内や学校、職場など、どんな環境でも常に人が関わっています。
同じ考えの人が集まってしまうと、「学び」としては僕は“薄い”と思うんです。

こんなに考えが異なる人同士が集まれる環境は本当に珍しいと思えます。

  ※あの世は同じ考えの心同士で集まっている。と僕は考えます。
   (ソウルメイトも似たようなもの)

みんなそれぞれの生き方(学び)が違う。ということがだんだん分かってくる、
違いを知る。ということも「学び」なんです。

  ※違い(人)を理解するのは難しくても、違いを知り、
   認め容認することは出来る。という考えです。
   「私は私だけど、貴方は貴方の考えがあっていい。」わけですよね。


別けるのではなく「繋げていく」
繋がりが人や自分を強く大きくすることだと…。
バシャールの言いたいことはそこだと思います。



違いを排除するということが、
「学び」を排除することにならないように、
これからも違い(人)を認めていけたらいいなと思います。

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