ちょっとだけ僕の例え話しを聞いてください。
僕は自分という存在を《戦闘機》のようなものだと想定して考えました。
地球というステージを自ら選んで赴任してきた僕。
それぞれの戦闘機には、帰還するための母艦がありますが、
その空母も帰還する場所、指令基地のような大元のベースがあります。
そこには軍の高官や役人がいて、さらにその奥には、
全指令を司る総裁の《大元帥》がいます。
下は僕が組み立てて簡略化したものです。
大元帥 → 神
↓指令
幹部・役人 → 菩薩如来
↓
母艦 → 魂(大元の)
↓
戦闘機 → 自分
御嶽や神社等は前線基地。
任命された土地神だったり、菩薩だったり、根神・根人だったり。
任の重要度では超大物だったり。
参考にした文献はありませんが、
軍という表現は戦うためではなくて、地球を攻略・探査するという意味。
どちらも周波数の違いで繋がってます。
すべては大きな一つというくくりです。
でも今、それぞれ個々の意識が別けられているのは、
個としての自分を完成させるため。大往生、感無量を目指して。
それでも完全に別けられているわけでもありません。
オール・フォー・ワン、ワン・フォー・オール。
僕の昔のメアドですが(笑)
訳すと、「一人(一つ)はみんなの為に、みんなは一人(一つ)の為に」です。
フット・ボールの言葉では一つではなくて、一人でした。
それが気に入ってメアドにしましたが、上の仕組みを見てたら、
この言葉を思い出しました。
戦闘機なので給油がないと飛べないし、機械も休ませる時間も必要。
人が眠るという行為は《母艦》に帰還する行為。
帰還しているあいだの母艦では、給油修理などの自分の微調整や、
軌道修正・指令の確認・目標・達成するノルマ等を話し合い再確認しています。
また、
地球での調査、データ結果もすべて上に報告され、最終的には大元帥まで届く仕組み。
これが《受信》と《送信》
寝ている時の送受信は義務とか規定によるものが多い。
※地球の時間は基準にならない。
念やテレパシーは時間に影響されず一瞬で届く。
って言うか、この一瞬という言葉も時間概念だ。笑
「おっ!これは…」と言うような“目を見張る”働きをする者、
功績を認められた者は当然、その地位や役職も上がっていく。
だから同じ戦闘機でも同じ軍曹レベルではなくて、大佐であったり少尉だったりします。
どの母艦も搭載している戦闘機は全部で七機。
しりえいさんの言っている七つのまぶや~はここに帰還する。(と思う。笑)
それぞれのまぶや~は無線で繋がり合っている。僕らは一心同体。
僕が情報を得ると、無線で他のまぶや~にも伝わる。
それを意識することができたり、無意識上で行われたり…。
向こうの世界では、魂はそれぞれ評価データ化されています。
実績は残されるということです。良い行いもカルマも含め。
まぶや~が七つに分かれていても、同じ母艦から生まれた機体で元は一つ。魂は一つ。
別けられていても、完全に別けることはできない。
※母艦が帰還するような
さらに大きな母艦もあるかも知れないけど
きりがないので書きません。笑
僕の魂の評価が 95,999点 だったとします。他の七つのまぶや~も同じ点数です。
今日一日の任務をクリアして、0,001点が加算された。
それを足して96点。
僕という魂は96点という基準(点)になり、そのデータは
他の七つのまぶや~にも一斉に上書きされて、96点になる仕組みです。
一番高い点数を基準にしています。
点数を上げるための働きとは「学び」。
霊的なビジョンを見たり、霊的な者とコンタクトすることが「学び」ではありません。
「学び」とは人生や生活の中に存在するのです。
そこが一番、勘違いしてほしくないところです。
ビジョンが見えたり、コンタクトを取ることが出来る者、
霊的な特徴を持つ者は僕流に言えば、それは一種の「技」の一つ。
階級を飛び超えて直接、菩薩・如来等の神の域にリンクしてコンタクトする。
高い周波数無線を意識して受信出来る能力は、
絵の才能や、音楽の才能持っていることと同じもの。
絵のうまい親から、絵の才能を持つ子供が生まれたりもします。
もちろん、すべてではありませんよ。
僕の家族は一人を除いて(笑)知っているだけで三世代、
何かしらの霊的能力を持っています。
もっと古い時代では、集落の神官を代々うちの家系が勤めていたと聞いたことがあります。
もしかしたら近い将来には、科学の発達でDNAを見ただけで、
伸びやすい能力がわかるようになるかも知れません(笑)
○能力の高さは精神力の高さ?
話がそれたけど、どんな世界にもこんな人がいますよ。
“技に溺れうぬぼれている人”
誰かを指して言っているわけではありませんよ(笑)
自分がそうだったから。とだけ言っておきます。
何かの能力に長けていることは、
もちろん素質も必要だけど、経験や努力を重ねることによって伸びていきます。
どんな能力であっても、それを伸ばすには
《精神力の高さ》が必要になるので、おのずと心も磨かれます。
本当は比例して伸びると思います。
だけど時と場合によっては、自分のやってきたことに成果が見えだすと、
嬉しさのあまり自分を見失って、心をどこかに置き忘れてしまうことがあります。
(自分のことです!笑)
常に落ち着いて自分を振り返り「人としてどうあるべきか?」
という確認を、心がけたいものです。
自分を見失っている時は周りが見えていません。
周りとは環境であり、環境は自分の心を映し出している鏡です。
人は能力の素質も備えていますが、欠点も当然備えています。
それは前世からのカルマも関係しているでしょうね。
人を敬う心が欠落してたり、トラウマを抱えていても
悩み苦しみ試行錯誤して、心を成長させることが出来る。
人が何度も輪廻するのは、
《ここでしか成長できないこと》があるからだと思う。
大きな目で見れば、すべては同じ存在、大きな一つです。
人の為にしていたことが、自分の為に成っていた。
自分の為にしていたことが、つまりはみんなの為に成っていた。
こんなことが言える大人に成りたいです。