曼荼羅に水の心得を見る

花屋

2008年05月14日 22:32

『自分の曼荼羅を広げなさい』

あるいは作りなさい・確立しなさい。かな?
はっきりしないけど、ふいにこの想いがやってきます。
その度に曼荼羅をネットで見てたけど良く分からない。

でも僕の曼荼羅の解釈は、
「自分(それぞれ)の世界を広げる、作る」という事。

役者(人)として演舞台(地球)に立って、それぞれの曼荼羅を広げる。

そもそも舞いや歌は神への感謝・奉納だと言われています。
生き方や一生を神に奉納しているとすれば、ムダに出来る時間はないですよね。


曼荼羅と聞いて固定観念を想い浮かべるのではなくて、
一人一人に合った、オリジナルな表現でいいと思います。


外から拾った情報を含め僕が曼荼羅を見て想うもの。

神の構図(立場等)、
ネットワーク(繋がりとか広がり)、
蜘蛛の巣、
完成された美、等…
円、

菩薩や如来の姿勢、特に繋がりの素晴らしさを感じます。
教える者、それを受け取り広める者。

早く僕も、
「これぞ自分であり、自分そのもの」
と言えるものを表現できれば と思います。


曼荼羅を見ていて思ったことは、
中心から外側への波紋のような広がりでした。


波紋とは波(水)の伝達…。
なるほど!

僕のキーワードは水なんですが…
書いてみてちょっと分かりましたよ。
「水」の特質を理解することだったんです!

僕は今まで外に水の答えを探していました。
これって良く考えれば分かること。

“ヒントは外でも答えは内に存在する”って事を忘れてたんです。

本当は外(環境・社会・現実)も含め、すべてが内側なんです。
本当は自分という「枠」自体無いのです。

個として識別するため「貴方」とか「私」と言う名前を
付けただけに過ぎず、(物)も(者)も同じ。

生まれた時から接して見てきた世界や出来事は
「すべて」そして「常に」自分を観ていたんです。
初めから自分以外のものは見えていないんですね。
自分の体内を観ている感覚に近いのかな。
なぜ自分を観るのかと言えば、悪いところはどこだろう?です。



昔々に生きた人ほど、狭い世界に生きてますよね。
交通手段も発達してないので、
集落から出ずに一生を終える人もいたかも知れません。
でも生きる世界が狭いほど、他人の有難さが分かるので、
(自分)の事のように考えて、調和を図ったと思います。

今の時代、ネットやTVでたくさんの情報を知る事が出来るし、
どこへだって行けます。
行ったことのない土地の問題を知る事も出来ます。

直に接する問題ではないけど、
人が目にするものも少なからず(自分)が関わっていると思います。

手の届かないところの問題まで考える余裕があるのも、
あるいは解決出来るようになったのも、
魂が昔より遥かに成長して、受け止められる器が大きくなった。
そういう風に思えてきました。




思いっきり話がズレてしまったけど水の話。

まず、「与えられたモノが」なければ「与えること」は出来ません。

水は自分から動くことは出来ません。
出来事となる「雫」が必要です。

上から落ちてきた一滴のしずく。
それを水の者が受信して波紋として伝える。

ルナさんのブログで気付きましたが
神の教えが縦軸で、伝える事が横軸なんだと思いました。
教えられた(物)を伝える(者)




○最近の夢

自分が落ち着いてきたのは良いことだけど、
見る夢に変化が出てきました。

僕が刑事(?)になって犯人を捕まえる夢(×2)や、
もう一つは僕が探偵になって、正体や証拠を暴いていくというもの。

刑事の夢の内容は、奪われた物を取り返しに行くことです。
奪われた物とは僕が僕であるという「証」あかしです。
宇宙警備隊のようなカッコイイカード(顔写真付き)笑

悪の組織に奪われたカードを追って、
フェリーに乗り込んだら、フェリー全体がアジトだった。w
下の階へ進みながらバッタバッタと敵を倒していく。
僕の気分はブルース・リーでした。
警備隊のツナギを着てたので(笑)
最後の扉のところまで戦ってたけど、そこで目が覚めてしまった(涙)
結局、「証」は取り返せず…。


そして今日の居眠り中に見た夢は…、
僕が丸いキノコのような建物の中にいて、
足を机に投げ出してそこでも居眠りをしていた(爆)

外にはこれまた同じような小さな建物の中に、
僕の直属の上司と、さらに上の上司が僕をどこに配置するか決めかねていた。

でも…
僕には直属の上司もその上の上司もいませんが…。
二人とも知らない人だったけど、
僕はどこに飛ばされるのかな?(笑)












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