明日、この木に会ってきます。(首里の大赤木)
今日の朝方に夢を見た。
場所は東北の田舎でそれほど古い時代じゃない。
(僕の東北のイメージは青森しかないから多分、青森かな?)
この時、僕は青森出身のオバサンでした(笑)
僕は自分の霊力を磨くため、
霊能者から教えをもらおうと考えていた。
有能な霊能者を見つけた僕は、その方の家の中に通され
部屋で僕の従者と腰を下ろして主人の登場を待っていた。
部屋の奥から小さな老婆が現れた。
囲炉裏を挟み対面に座った華奢な老婆は
可愛らしい笑みで歓迎してくれた。
ん、?
(あれっ!?)
花屋「あー!おばさんってあの時の婆さん!!!!?」
以前夢に出てきた、
僕に氣の使い方を伝授してくれた中国の婆さんだった。
参照;夢の話
URL:http://gaiax3.ti-da.net/e1989723.html
でも婆さんはニコニコしてるだけで答えない…。
僕はすぐに本題に切り出した。
花屋「能力の使い方を教えて下さいっ!あなたの弟子にして下さい!」
老婆は一言も発せずに首を横に振り断ったが
終始笑みを浮かべている。
僕は内心、顔も知ってる仲だから
即OKだろうと軽く考えていたから少し焦った。
(冗談だろ!?)
僕は婆さんが本気で断ったのではないとふんだ。
僕のやる気を試してるんだろう、と…。
それなら明日出直してこよう。
やる気がある事を見せるために。
僕は婆さんの微笑を見て、ちょろいと考えてた。
でも甘かった。
次の日も断られた。
その次の日も。
次の次の日もずっと…。
あきらめきれずに毎日毎日…。
婆さん宅に何度も何度も足を運んだ。
…94回、
…95回、
…96、…97、 …98回…
(あぁ、そっかー、婆さんは100回目にOKを出す気だな)
まだ軽く考えてる僕がいた。
そしてとうとう、100回目の訪問。
それでも婆さんはやっぱり断ってきた。
またニコニコと笑みを浮かべて…。
(なんで!?)
(なんでダメなんだよ!)
以前はすごくやさしかったのに…
いや、今でも見た目はやさしいけど…(笑)
僕は悔しくてあきらめきれなくて…
それでも通い続けた。
通い続けてたら、なぜかいきなり了解してくれた。
(今までのはやっぱり僕を試したのかな?)
了解をもらったので
住み込みの用意を整えたらすぐに婆さん宅に住み始めた。
婆さんが所有する建物はここだけじゃなかった。
道を挟んだ反対側にも婆さんが経営する商店があった。
僕はここの店番も頼まれた。
それも修行のうちだって…。
でも客は一人も来なかった。
外に出て、一本しかない道を見渡しても人はいなかった。
それもそのはず、ここは“恐山”か“賽の河原”だったから。
(恐山も賽の河原も知らないけど)
積み上がげたような石ころと、むき出しの岩。
他には何もない。
ここは地球ですか?(笑)
天気もあいまいです。
僕は人のやってくる様子もない店で店番を頼まれ、
来る日も来る日もずーっと座っていた。
日が暮れないから日付が変わったのかさえ分からない。
修行のビジョンも多分見てない…。
だんだん不満が溜まってきた。
(これも試されてるのか…?)
ある時、婆さんの自宅で婆さんと話をしていると、
僕が店のつり銭をネコババしてると言ってきた。
僕はこれにプッツンして今までの思いのたけを
婆さんにぶつけた。
婆さんと言い合いになっってしまった。
二人とも大声だけど何を言い合ってるのか全く分からない。
互いのののしる言葉が、あまりにもなまりがひどいので、
ちんぷんかんぷん(笑)
(沖縄も訛りがひどいと思われてるはずだよね)
僕は本気だった。
だけど良く見たら、婆さんはこちらの様子を伺いながら
僕に合わせて演技をしていたようだった。
そこで目が覚めた。
夜が明けていた。
時計を見るとまだ早朝だったので
目を閉じて寝っころがりながら考えてた。
(婆さんがあんな事を言うなんておかしいよな…)
何の意味があるんだろう?
意味があるから出てくるんだし、意味がない事は起こらない。
婆さんに原因があるって考えるのは無理があるよ。
やっぱり僕に原因があるんだろう。
しばらくしたら、ビジョンが見えた…。
○アンタ、誰?
さっきとは違うビジョン。
僕は(意識は)家の中にいた。ちょっと古い時代で旧家だ。
(おっ?今日の夢は2本立か。笑)
部屋の中央に僕が立ち、(おじさんである。笑)
使用人(?)か奥さん(?)かは知らないが、その人に鎧を付けてもらってる。
僕の体型は普通だったけど、まるでお茶のCMのキム兄みたいだ(笑)
僕が付けてる鎧は新品だ。
傷や使った形跡がなくて色もキレイ。渋い濃い赤。
ということは武家屋敷か…?
「い…と…い…じゅ…ぞ…う」
平仮名が僕のまぶたに映る。
おぉっと!名前を出してきた!
いといじゅーぞう?これその人の名前か?
アンタは僕の前世の一人なのか?
(もう一回、もう一回名前見せてくれ!)
「…い…と…う…じゅ…ぞ…う…」
キタキター!
さっきと違うけど?(笑)
あー、でもよく見えないよ。
けどいいよ、いいよ!二つ調べるから。
パッと目を開け、すぐさまケータイにメモった。
おぉー、すげーよ。
今回は名前を言ってきたー。
ケータイで漢字に変換してみる。
糸井重蔵_
はぁー?
糸井重蔵って字…は、TVかどこかで見た事あるなぁ。
まさか…、昔よく出てたあいつ(コメンテーター)じゃないよな?w
会社に着いて朝の仕事を片付けてから
ゆっくり休みながらパソコンを開いた。
YAHOOの検索欄に、「糸井重蔵」をタイピングする…。
・次の条件に一致する情報は見つかりませんでした。
・検索キーワード:糸井重蔵
名前が違うのか…?
じゃ、糸井重正はどうだろう?
・糸井重里 ではありませんか?
と出た。
押してみる。 ポチッ
(!)
あっはっはっは。
超ウケる(笑)
予想通りだった。w
笑っちゃ失礼かな。
あー、
でもこの人じゃないなぁー。
第一、漢字が違うし顔も違った(顔はよく見えなかったけど)
決定的なのは年代が違うこと。
もう一つの名前が本命か…。
次は、いとう、いとう…
伊藤重蔵_
ポチっと。
出た!
おぉー、いた、いた!
本当にいたよー!!!
伊藤重蔵って存在する人なんだー!
名前もピッタリあってるよー!スゲー(((( ;゚д゚)))
福山藩儒者(福山伊藤家初代)
伊藤重蔵いとうじゅうぞう (伊藤梅宇/いとうばいう)
貞亨元年(1684)京都堀川生まれ
没年:延亨2年(1745年) 享年62歳
おお、年代的にはこんな感じ。うんうん。
っていうかこれに間違いないかも。
実はケータイに文字打ちしてる時に、この漢字が浮かんだんだよね。
字は、重蔵・十蔵、名は長英、号は梅宇先生、
私諡は康獻(こうけん)先生。書斎を相遺窩と称した。
貞享元年、古学先生伊藤仁斎の第二子として
京都堀川の古義堂(仁斎の創立した私塾)に生まれた。
兄は伊藤東涯である。
伊藤家の初代か…。
藩儒って何だろう?読み方もわからない。
人となりは容貌魁偉、人と接するときは寛大親切で、
しかも健啖家であった。文は韓欧、詩は李杜を愛し、
また経史に造詣が深かった。
『著文集10巻』、『志林2巻』、『談叢7巻』、『見聞談叢』、
『相遺裔詩稿3巻』、『梅宇文稿5巻』、『講学日記12巻』などがある。
延享2年(1745年)10月28日没、享年62歳。定福寺に葬る。
碑銘は伊勢津藩奥田三角の撰。
昔の文字で読めないよー。
でもこれを見る限りでは武士というよりは、文学者知識人だ。
でも、
さらに調べて見ると、千円札の伊藤博文の父親も
「伊藤重蔵」って名前なんだよね。
こちらは年代もぐっと若いけど。
名前だけじゃ分からないな~。
あの婆さんの正体も分からないし…。
次はもっと教えてくれるかなぁ。
そうそう、
この記事を書きながら居眠りしてたら
身の丈2メートル程の大きな猪が、のっしのっしと
僕を横目で見ながらビジョンの左側から現れたよ。
前に調べた時、
猪って何かの神さまの乗り物だって書かれていたけど…。
魔利支天だったっけ?