悲しい憑依
2008年08月04日 / 沖縄の怖い話
注意;)今回はちょっと重いかな?
先週の木曜の朝。
おかしい… おかしいぞ…!?
やっぱり気のせいじゃなかったな!(笑)
これは間違いなく(クールポコ風に)
やっちまったなぁー!笑
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先週の火曜日。
伊計島で初泳ぎしてきました。
去年も沖縄に遊びに来てくれて、一緒に遊んでくれた大阪の友達RENTさんと、
ツイてる会メンバー二人(フミさん、トシくん)計4人です。
楽しかったですねー。
夕方、みんなで焼肉を食べた後に、
今回は仕事で遊べなかったメンバー(アガイくん)の家で
メンバーの家族と一緒に、お茶しながら楽しく過ごしてきました。
その日は何事もなく過ぎて次の日の月曜の朝。
身体的にも精神的にもコンディションの悪さを感じながら、
仕事の身支度を整えてました。
(まぁ、昨日の熱さと日焼けの火照りのせいもあるんだろう…)と、
あまり気にするのもどうかと思い、気持ちを切り替えて
黙々と仕事をこなし、この日も何事もなく終わりました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そして木曜の朝。
目覚めると部屋の中が朝もやのように白く霞がかっていました。
(僕の場合、視界が白く霞がかる時は、表層意識の自分に何かを訴えている時)
と同時に苦しさと、キツさと、ムカつきでイラっとして気分が悪い。
目がギョロギョロする…。多分、血走ってるんだろうなぁ。
あー、久しぶりに持って帰ってきたな!笑
伊計島に渡る海中道路で、右側に見える浜比嘉(神の島)の存在に気付いた時、
フッと頭によぎったよ。(やばい!でももう遅いか?こりゃしくじったな~)って。笑
和気藹々と楽しんでるみんなに(ここはやめて他のビーチにしよう)って、
雰囲気をこわすようで言えなかったし…。
(大丈夫!大丈夫。何も起きないさ)って自分に言い聞かせてた。
(みんなになにかあったら、俺がただじゃおかない。誰が相手でもぶっ殺すよ?)って
先に念をとばしてた。僕が怖いのは人間だから(笑)
みんなのことは全力で守れるけど、自分のことは全力で守れない。
って言うか、一番問題なのは“自分自身”だってことはよーくわかってた。
あと、フミさんが憑かれやすいから、ちょくちょく様子を見ながら遊んでた。
暑さで霊感が麻痺して自分の状態がまったくわからなかっった。
これは以外な発見だった(笑)
前もって土地神に遠隔で挨拶して守りを願ったり、
入島する前の挨拶もしなかったさ(もう遅いと思ったんだよね)
俺は行きたいところへ行く!霊ごときに影響されてたまるか!って、今まで思ってた。
もちろん、御嶽や神社は挨拶してたよ。
だけど考えてみたら霊たちは、場所や霊域が家みたいなモンなんだよね。
特に沖縄はそこらじゅうにそんな場所が存在するし、
入ってみて初めてそこが霊域だってわかる場所だってある。
※悪いと知らずにやってしまったことと、
それを知りながらやってしまうこととはまったく違う。
俺はそういうことを知っていながら、勝手に人ん家に入り荒らしたことになるなぁ。
たとえゴミを残さずに帰っても、勝手に人ん家で遊ぶのはダメだよね(笑)
こういう特殊な環境(数百以上ある御嶽の存在や霊域・聖域のこと)や、
沖縄ならではの考え方を理解できない人もいるだろうね。
でもさー。
うちなーんちゅも気付いてないかも知れないけど、
これが沖縄が《特別な場所》だと言われる所以の一つだと僕は思うよ。
神の島と呼ばれる島々は世界中にたくさんあるけれど、
これだけの御嶽(神が居る・或いは降りる場所)が存在する場所は沖縄だけだって
先週読んだ本に書いてあったよ。
この小さな島でこの人口に対して、
これだけたくさんの御嶽があること自体がすでにおかしいよね。
話を元に戻して…。
布団から出る前に身体を診断してみた。
今回の症例は(笑)頭痛もなく、霊門の反応もまったくなかった。
霊門の異常も感じられない。笑
外から覆うように憑依されてる…。
次は心を観てみた。
苦しい。きつい。ムカつく。
昨日より断然ひどい。
くっそー、動け、くそくそー。動け!
言葉がきたねーよ。お前男だな?
そりゃ動きたいだろうよ?身体持ってないからな。
そろそろ時間なんで、仕事の準備してから会社に向かい、
仕事が一通り落ち着いたところでまた探ってみた。
この男の死んだ理由が知りたかったから色々と試してた。
僕を守護してくれる者は憑依を教えてはくれたけれど、
そのまんま傍観してた。
僕の心のうちを知っているからだろうけど。
実は今度、憑依されたらその霊からも学んでやろうと考えてた。
自分の都合のいいように…。そしたら焼けどした(汗)
ぐーー、苦しいー、だるくて眠いー。身体の伸びばかりさせやがる…。
腕を伸ばしたいのか?
ここまで苦しい憑依は初めてだな。結構力があるぞ。
憑依された時の苦しさって、どう書けばいいの?
花屋「くそ、くそ、くそーーー!!!苦しいー」
僕に汚い言葉を出させるさ~、でもいい加減、マジで調子が悪くなってきた。
(右肩がヘンだ…右肩に何かあったなコイツ…)
右肩をじっくり感じて動かして、
さらに探る…。
さらに探る…。
さらに探る…。
ビシッ!!!!!
右肩に激痛が起こり、一瞬で斜め腰の辺りまで走り全身に広がった!!!!
椅子に座っていたから良かったものの、
立っていたら危なかっただろう。
右肩を中心に身体が痛みで動かない。
いや、足だけは動く。
痛みで下や正面に顔を向けることが出来ない。
常に上に顔を向けていないと痛みでガマンできない。
イタイ、イタイ、イタタタタタタ、イテーーー!!!
すごい痛さ!(剣山が神経を触っている感じです。いやマジで)
ギックリ腰の痛み、わかりますか!?
仕事を交代できるはずのオバちゃんに、電話しても連絡がつかない。
こんなんで仕事できないのに…痛くて泣きそう。
常に上を向いてるオレ(笑)
あーーーーーーっ!
くそ、わかった!わかったーーー!キタキタ
コイツ、後ろから切り殺されてる!!!あそこの林付近で!
そのまま正面に倒れた!!!
肩から斜めに思いっきり切られて、その時に神経も切られてる
でもこの人は絶命しなかった しばらく生きてた
うつぶせに倒れて身体はまったく動かなかったけど
どうにか顔だけは必死で上に向けてそして固まった
苦しみながら声も出せずに
同じ場所をずっと見て… 死んだ。
この人が想ってたことは、
自分の身体の状態にショックを受けて、
一人死ぬのが怖くて泣いて怒って、繰り返してた。
心が爆発したりしぼんだりして…最後をむかえてる。
たっぷり想いを残してる。
今、書いててやっとアンタの気持ちが理解できたよ。
ごめんなさい。スイマセン。
辛かったね、この痛みは尋常じゃないよ。
大変だったろうに…。最後まで一人で死んだね。
供養が届いてないね。
(ああー、くっそーーー!!)
供養が届いてない!気持ちが届いてないって泣いてきよった!
もう、イライラするほど可哀相さー!泣けてくる。
だけどもういいよ、想いを手放せよ!
未練を残してるから苦しみも痛みも、
ぜーんぶその時のまま残ってんだよ。
そこに執着すんなよ!そうやってるから
本当の世界に気付けないんだよ!
気持ち切り替えて見てみぃー、
お前を守護する者はお前がそれに気付くのをずーーっと待ってんだよ。
お前がそれに執着してチャンネルを低くするから
守護者の高いチャンネルがかみ合わずに導けないわけさー。
神さまに頼んでお願いするから成仏するんだよ。
もう苦しまないで悲しまないで、みんな許して自分も許すんだよ。
死んだYが想いをぶつけてきた時と同じだった。
この人に子供はいなかった。奥さんかな?二人で住んでた。
斬られた理由は言わないし、斬った人は観えない。わからない。
もしかしたら相手ではなくて、自分を恨んでるのかも知れん。
そこはもういいか…。
あまりにも全力で同調しすぎてしまった。
シャーマンが気になってたから。
自分に何ができて、何ができないのか?知りたくて。
かるい気持ちも少しはあったかも知れない。 ゴメンな…。
憑依する者される者どちらにも学びがある。
神さまは苦しんでる者に手を差し伸べるのではなくて、
苦しみを乗り越えた者に手を差し伸べるんだ。
生きている者にはそれがギフト。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
木曜から三日間くらい激痛に耐えて生活してた。
憑依されて二日目の夜に夢を見た。
机に座ってる自分がいて…。
また、テストを受けてる状態ですでに始まってた(笑)
(それとも忘れたのかな?)
今度は道徳の問題で問題文が黒板(?)に
表示されててたったの1問だけだった。でも問題は覚えてない。
それで終わり。解けなかった…。
やっぱり俺はおちこぼれか?(笑)
憑依されててもテストを受けられるとは…(笑)ちょっと驚き。
「上」じゃ、別にたいした出来事でもないんだろうね。
憑依されても自身の強い意思を持ち続ければいいんだよ。
自分の身に起こる不幸を「霊に憑依されて…」と、御祓いばっかりやってても
結局は自分が強くならなきゃ、意味がない。
同じ霊や違う霊がやってきて同じことの繰り返しになるだけ。
「霊に負けてたまるか!言いなりにならない!」という強い精神力が大事だよ。
「今、霊に…」とか言ってる人は、ちょっと考えてほしい。
僕はそう思うし、「僕のウチにも一人いるよ」って今年言われたけど、
祓ってもらうのを断ったよ。弱くて僕の前に出てくる力もなくホントにいるのか?って感じだし、
僕は自分から出て行かそうと企んでるから。
イヤらしいけど、霊にはどんどん居心地悪くしようと思ってる(笑)
あと、なにげに掃除も大事だよ。(僕はちょっと苦手だけど。笑)
例えばほうきではくのは「はらう」意味があるから。
そして三日目の夜にまた夢を見た。
この日の夢は二本立てだった(笑)
もう一つは「犬の夢」でこれもすごく興味深かったよ。
次、書きます。
テストが終わった教室に僕はいた。それは昨日の続きだった。
教壇が低くてスタジアムみたいな部屋だった。
ほとんど誰もいなかったから、僕はふらっと教壇まで降りて行った。
下の方から生徒側の机を見渡してみると、
僕の座ってた列の机の前に「王子」と書かれた白い紙が張られていた。
(嘘だろ!?これぜーんぶ王子???)
自分が王子側に座っていたことよりも、
王子が百人以上?いることにビックリしていた。
左側には百人以上の席があったはず?右側は見てないからわからない。
そこで夢は終わり。
これ、沖縄の昔の苗字と関係してないかな?
苗字や門中を創った初代の人が王子とか…ね。
誰かわかる人~、教えてください(笑)
先週の木曜の朝。
おかしい… おかしいぞ…!?
やっぱり気のせいじゃなかったな!(笑)
これは間違いなく(クールポコ風に)
やっちまったなぁー!笑
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先週の火曜日。
伊計島で初泳ぎしてきました。
去年も沖縄に遊びに来てくれて、一緒に遊んでくれた大阪の友達RENTさんと、
ツイてる会メンバー二人(フミさん、トシくん)計4人です。
楽しかったですねー。
夕方、みんなで焼肉を食べた後に、
今回は仕事で遊べなかったメンバー(アガイくん)の家で
メンバーの家族と一緒に、お茶しながら楽しく過ごしてきました。
その日は何事もなく過ぎて次の日の月曜の朝。
身体的にも精神的にもコンディションの悪さを感じながら、
仕事の身支度を整えてました。
(まぁ、昨日の熱さと日焼けの火照りのせいもあるんだろう…)と、
あまり気にするのもどうかと思い、気持ちを切り替えて
黙々と仕事をこなし、この日も何事もなく終わりました。
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そして木曜の朝。
目覚めると部屋の中が朝もやのように白く霞がかっていました。
(僕の場合、視界が白く霞がかる時は、表層意識の自分に何かを訴えている時)
と同時に苦しさと、キツさと、ムカつきでイラっとして気分が悪い。
目がギョロギョロする…。多分、血走ってるんだろうなぁ。
あー、久しぶりに持って帰ってきたな!笑
伊計島に渡る海中道路で、右側に見える浜比嘉(神の島)の存在に気付いた時、
フッと頭によぎったよ。(やばい!でももう遅いか?こりゃしくじったな~)って。笑
和気藹々と楽しんでるみんなに(ここはやめて他のビーチにしよう)って、
雰囲気をこわすようで言えなかったし…。
(大丈夫!大丈夫。何も起きないさ)って自分に言い聞かせてた。
(みんなになにかあったら、俺がただじゃおかない。誰が相手でもぶっ殺すよ?)って
先に念をとばしてた。僕が怖いのは人間だから(笑)
みんなのことは全力で守れるけど、自分のことは全力で守れない。
って言うか、一番問題なのは“自分自身”だってことはよーくわかってた。
あと、フミさんが憑かれやすいから、ちょくちょく様子を見ながら遊んでた。
暑さで霊感が麻痺して自分の状態がまったくわからなかっった。
これは以外な発見だった(笑)
前もって土地神に遠隔で挨拶して守りを願ったり、
入島する前の挨拶もしなかったさ(もう遅いと思ったんだよね)
俺は行きたいところへ行く!霊ごときに影響されてたまるか!って、今まで思ってた。
もちろん、御嶽や神社は挨拶してたよ。
だけど考えてみたら霊たちは、場所や霊域が家みたいなモンなんだよね。
特に沖縄はそこらじゅうにそんな場所が存在するし、
入ってみて初めてそこが霊域だってわかる場所だってある。
※悪いと知らずにやってしまったことと、
それを知りながらやってしまうこととはまったく違う。
俺はそういうことを知っていながら、勝手に人ん家に入り荒らしたことになるなぁ。
たとえゴミを残さずに帰っても、勝手に人ん家で遊ぶのはダメだよね(笑)
こういう特殊な環境(数百以上ある御嶽の存在や霊域・聖域のこと)や、
沖縄ならではの考え方を理解できない人もいるだろうね。
でもさー。
うちなーんちゅも気付いてないかも知れないけど、
これが沖縄が《特別な場所》だと言われる所以の一つだと僕は思うよ。
神の島と呼ばれる島々は世界中にたくさんあるけれど、
これだけの御嶽(神が居る・或いは降りる場所)が存在する場所は沖縄だけだって
先週読んだ本に書いてあったよ。
この小さな島でこの人口に対して、
これだけたくさんの御嶽があること自体がすでにおかしいよね。
話を元に戻して…。
布団から出る前に身体を診断してみた。
今回の症例は(笑)頭痛もなく、霊門の反応もまったくなかった。
霊門の異常も感じられない。笑
外から覆うように憑依されてる…。
次は心を観てみた。
苦しい。きつい。ムカつく。
昨日より断然ひどい。
くっそー、動け、くそくそー。動け!
言葉がきたねーよ。お前男だな?
そりゃ動きたいだろうよ?身体持ってないからな。
そろそろ時間なんで、仕事の準備してから会社に向かい、
仕事が一通り落ち着いたところでまた探ってみた。
この男の死んだ理由が知りたかったから色々と試してた。
僕を守護してくれる者は憑依を教えてはくれたけれど、
そのまんま傍観してた。
僕の心のうちを知っているからだろうけど。
実は今度、憑依されたらその霊からも学んでやろうと考えてた。
自分の都合のいいように…。そしたら焼けどした(汗)
ぐーー、苦しいー、だるくて眠いー。身体の伸びばかりさせやがる…。
腕を伸ばしたいのか?
ここまで苦しい憑依は初めてだな。結構力があるぞ。
憑依された時の苦しさって、どう書けばいいの?
花屋「くそ、くそ、くそーーー!!!苦しいー」
僕に汚い言葉を出させるさ~、でもいい加減、マジで調子が悪くなってきた。
(右肩がヘンだ…右肩に何かあったなコイツ…)
右肩をじっくり感じて動かして、
さらに探る…。
さらに探る…。
さらに探る…。
ビシッ!!!!!
右肩に激痛が起こり、一瞬で斜め腰の辺りまで走り全身に広がった!!!!
椅子に座っていたから良かったものの、
立っていたら危なかっただろう。
右肩を中心に身体が痛みで動かない。
いや、足だけは動く。
痛みで下や正面に顔を向けることが出来ない。
常に上に顔を向けていないと痛みでガマンできない。
イタイ、イタイ、イタタタタタタ、イテーーー!!!
すごい痛さ!(剣山が神経を触っている感じです。いやマジで)
ギックリ腰の痛み、わかりますか!?
仕事を交代できるはずのオバちゃんに、電話しても連絡がつかない。
こんなんで仕事できないのに…痛くて泣きそう。
常に上を向いてるオレ(笑)
あーーーーーーっ!
くそ、わかった!わかったーーー!キタキタ
コイツ、後ろから切り殺されてる!!!あそこの林付近で!
そのまま正面に倒れた!!!
肩から斜めに思いっきり切られて、その時に神経も切られてる
でもこの人は絶命しなかった しばらく生きてた
うつぶせに倒れて身体はまったく動かなかったけど
どうにか顔だけは必死で上に向けてそして固まった
苦しみながら声も出せずに
同じ場所をずっと見て… 死んだ。
この人が想ってたことは、
自分の身体の状態にショックを受けて、
一人死ぬのが怖くて泣いて怒って、繰り返してた。
心が爆発したりしぼんだりして…最後をむかえてる。
たっぷり想いを残してる。
今、書いててやっとアンタの気持ちが理解できたよ。
ごめんなさい。スイマセン。
辛かったね、この痛みは尋常じゃないよ。
大変だったろうに…。最後まで一人で死んだね。
供養が届いてないね。
(ああー、くっそーーー!!)
供養が届いてない!気持ちが届いてないって泣いてきよった!
もう、イライラするほど可哀相さー!泣けてくる。
だけどもういいよ、想いを手放せよ!
未練を残してるから苦しみも痛みも、
ぜーんぶその時のまま残ってんだよ。
そこに執着すんなよ!そうやってるから
本当の世界に気付けないんだよ!
気持ち切り替えて見てみぃー、
お前を守護する者はお前がそれに気付くのをずーーっと待ってんだよ。
お前がそれに執着してチャンネルを低くするから
守護者の高いチャンネルがかみ合わずに導けないわけさー。
神さまに頼んでお願いするから成仏するんだよ。
もう苦しまないで悲しまないで、みんな許して自分も許すんだよ。
死んだYが想いをぶつけてきた時と同じだった。
この人に子供はいなかった。奥さんかな?二人で住んでた。
斬られた理由は言わないし、斬った人は観えない。わからない。
もしかしたら相手ではなくて、自分を恨んでるのかも知れん。
そこはもういいか…。
あまりにも全力で同調しすぎてしまった。
シャーマンが気になってたから。
自分に何ができて、何ができないのか?知りたくて。
かるい気持ちも少しはあったかも知れない。 ゴメンな…。
憑依する者される者どちらにも学びがある。
神さまは苦しんでる者に手を差し伸べるのではなくて、
苦しみを乗り越えた者に手を差し伸べるんだ。
生きている者にはそれがギフト。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
木曜から三日間くらい激痛に耐えて生活してた。
憑依されて二日目の夜に夢を見た。
机に座ってる自分がいて…。
また、テストを受けてる状態ですでに始まってた(笑)
(それとも忘れたのかな?)
今度は道徳の問題で問題文が黒板(?)に
表示されててたったの1問だけだった。でも問題は覚えてない。
それで終わり。解けなかった…。
やっぱり俺はおちこぼれか?(笑)
憑依されててもテストを受けられるとは…(笑)ちょっと驚き。
「上」じゃ、別にたいした出来事でもないんだろうね。
憑依されても自身の強い意思を持ち続ければいいんだよ。
自分の身に起こる不幸を「霊に憑依されて…」と、御祓いばっかりやってても
結局は自分が強くならなきゃ、意味がない。
同じ霊や違う霊がやってきて同じことの繰り返しになるだけ。
「霊に負けてたまるか!言いなりにならない!」という強い精神力が大事だよ。
「今、霊に…」とか言ってる人は、ちょっと考えてほしい。
僕はそう思うし、「僕のウチにも一人いるよ」って今年言われたけど、
祓ってもらうのを断ったよ。弱くて僕の前に出てくる力もなくホントにいるのか?って感じだし、
僕は自分から出て行かそうと企んでるから。
イヤらしいけど、霊にはどんどん居心地悪くしようと思ってる(笑)
あと、なにげに掃除も大事だよ。(僕はちょっと苦手だけど。笑)
例えばほうきではくのは「はらう」意味があるから。
そして三日目の夜にまた夢を見た。
この日の夢は二本立てだった(笑)
もう一つは「犬の夢」でこれもすごく興味深かったよ。
次、書きます。
テストが終わった教室に僕はいた。それは昨日の続きだった。
教壇が低くてスタジアムみたいな部屋だった。
ほとんど誰もいなかったから、僕はふらっと教壇まで降りて行った。
下の方から生徒側の机を見渡してみると、
僕の座ってた列の机の前に「王子」と書かれた白い紙が張られていた。
(嘘だろ!?これぜーんぶ王子???)
自分が王子側に座っていたことよりも、
王子が百人以上?いることにビックリしていた。
左側には百人以上の席があったはず?右側は見てないからわからない。
そこで夢は終わり。
これ、沖縄の昔の苗字と関係してないかな?
苗字や門中を創った初代の人が王子とか…ね。
誰かわかる人~、教えてください(笑)
相談を受ける時の構え
2008年08月01日 / カウンセリング
誰でも相談したりされたりすることがありますよね。
人から相談される時には、注意してほしいことがあります。
相談内容によっては愚痴が出てきますが、
この愚痴って目には見えませんが、人によっては身体的に影響を及ぼしたりするんです!
沖縄では愚痴や文句のことを方言で“ごーぐち”と言います。
なぜ、ごーぐちと言うのか?考えてみると、“はごー”と言う言葉が浮かびました。
これは、うちなーぐち(沖縄方言)で言えば“汚い”です。
おぉー!だから“ごーぐち”なんだな~!うんうん。
沖縄では文句ばかり言う子供などに、
目上の者が下の者に使う言葉でこう言われたりします。
「ひっちー、ごーぐち、はーぐちしーねー、とぅてぃなぎらりーんどー、わんかい!」
僕たちの子供の頃は怒られてナンボと言うか、(笑)
怒られて世間を知るようなところがありました。
朝から晩まで怒られてるから、親は大変だったと思いますよ。ホントに。
だから怒られない、手も出されない今の子供たちを見ていると
感慨深いものがありますね。ま~それぞれですが…。
上の言葉をよくうちのおば~に言われてました。
意味は、
(しょっちゅう、文句ばかり言ってると、(お前を)オレがとって投げるよー)です。
はごーを、ごーとはーに別けたのかな~?面白いですね。
このごーぐちが苦難、非難になったのが“口難”(くちなん)です。
pm11:00訂正;
スイマセン、やっぱりごーぐちと口難の違いは解りませんが、
口難は受け取った側が感じるモノかと思います。
本題はここからです。
誰でも相談を受ける時がありますが、その時に注意してほしいことがあります。
その前に《人は誰でも心の周波数を持っている》と考えてくださいね。
相談をする側のAさん 周波数356
相談を受ける側のBさん 周波数487
二人の心には開きがあります。
相談者Aさんは今の現状を改善したくて、苦しみや辛さを語ってきます。
それを受ける側Bさんも、相談者の気持ちを理解するべく、親身になって聞いていきます。
AさんはBさんが理解しやすいように周波数を上げて、
BさんはAさんを理解するために周波数を下げていきます。
すると、だんだん波長が合ってきます。
すると、だんだん気持ちがわかってきます。
ですが、
僕は相手の周波数に降りていくことを、ある時期からやめました。
※仮説として話そうと思いましたが
これは僕の実体験です
相談者側がもくもくと苦しみを伝えている時、
相談者の身体から放たれた、負の念体エネルギーが、
僕の両脇をすごい勢いで通り抜けていくのが観えたからです。
時速にすると50キロくらいでしょうか。
それは身体にも感覚がありました。
僕は坊主なので髪はありませんが、(笑)
風で髪がたなびき、頬を通り抜けていく。
僕の身体がゆらめいているようなを感覚です。
あとになってそれは、
(エネルギー体の自分がたなびいていたんだなー)って思いました。
音まで聞こえてくるような感覚!
ゴーっと言う流れの中で、通り過ぎる瞬間にヒュン、ヒュ、ヒュ、ヒュン!
さわやかな風…とはいきませんが、
その感覚が面白くてずっと楽しんでました。
(スゲーっ!スゲーっなんだこれは~)って。笑
僕は思念が観えたことで、避ける術を身に付けることが出来たけど、
この思念を正面から受けてる人は大変だな~って思いました。
相手の方には悪いけど、
どこまで避けることが出来るのか?挑戦してました。
相手の思念が僕を通過していく時、少しづつ思念を残していったようで、
完全に避けることは出来ませんでした。
相手に周波数を合わせなくても、解決が出来ることを学びましたね。
ありがたいさ~!
僕には以前から変な能力???があります(リーディングかな?)
相手が10のことを話す前に、
1~2で解ってしまうことがあります。
もっと詳しく言うと、
相手が一言~二言、説明し終える前に、解決策が解ってしまう時があるんです。
だから電話で相手がこちらに伝えている時でも、
さえぎってまで自分の話をしてしまいます。
その時の僕は気持ちがとても焦っています。
Q,それはなぜか?
相手に伝えたい事は出てくるけど、言わないとどんどん忘れていくから。笑
Q,なんで忘れる?
自分で考えて出した言葉じゃないから。
Q,つまり?
僕の思考じゃないんです。
いや、僕の思考のはず?あーわからない。わからない。
相手が全部、10話、終えてからアドバイスすると
最後の10の問題のアドバイスしか覚えてなくて、
1~9でそれぞれ出た答えは忘れてます。
だからいつも僕は、
「オレ、さっきなんて言ったっけ?」なんて言いやがります。笑
これって僕にとっては笑い事じゃないので、夢の屋の宝さんに
「僕は自分の言ったことを覚えていないんです。」
って、相談したら「私もよ。」って言われました。
結局なんなのか?いまだにわかりません。笑
そしてあまりにもおかしな出来事があると、
僕は自分で(自分は頭がおかしいんだ)と思うようになって落ち込み、
そのおかしな出来事も《なかったこと》にしてしまいます。
つまり起きた出来事を忘れる。
それで身(精神を)を守ってるんだと思います。
そうでもしないと自分の存在さえ否定してしまうので。。。
今までそうしてました。そうしてたけど…。
僕のまわりのブロガーさん達が
似たようなことをするもんだから、思い出してしまうんですよねー(笑)
話がずれたけど、言いたかったことは、
相談されるときは柳のように《受け流すこと》です。
医者が無表情で、診断や診察をやってるのに似ています。
機械のようにやってるような人がいますよね!?
だから練習すれば出来るようになるはずです。
これは同調しやすい人にこそ、必須です。
同調するとき、しないときを、自分で意識して創れるようになることです。
医者はすべて相手の気持ちに立って診断すると
自分の身を壊してしまうことを《経験から知っている》んでしょう。
《想いは身体と密接に関係してる》ことはもう理解してますよね。
親身になって受け答えしていると、相手の苦しみや痛みが
自分の身体に影響を及ぼしてしまうので気を付けましょう。
同調するなら良い出来事を分かち合う方が良いですよ。
この話をしたことには理由があって…
これを踏まえた上で次の話に続くんです。
(次の話はもうちょっと待ってください。汗)
今の僕に同調しないほうがいいですよー。
火曜の伊計島で勝手にヒッチハイクされて……(痛)
もう、だいたいでどんな人だったのか?解ってますが、
何でも首を突っ込む僕の性格が災いしました。
首を…は、違う意味にもかけています!(笑)
あー、でも探るのは表層だけにして下さいっ!
僕は同調しすぎて、大変なことになりましたよー(汗)
人から相談される時には、注意してほしいことがあります。
相談内容によっては愚痴が出てきますが、
この愚痴って目には見えませんが、人によっては身体的に影響を及ぼしたりするんです!
沖縄では愚痴や文句のことを方言で“ごーぐち”と言います。
なぜ、ごーぐちと言うのか?考えてみると、“はごー”と言う言葉が浮かびました。
これは、うちなーぐち(沖縄方言)で言えば“汚い”です。
おぉー!だから“ごーぐち”なんだな~!うんうん。
沖縄では文句ばかり言う子供などに、
目上の者が下の者に使う言葉でこう言われたりします。
「ひっちー、ごーぐち、はーぐちしーねー、とぅてぃなぎらりーんどー、わんかい!」
僕たちの子供の頃は怒られてナンボと言うか、(笑)
怒られて世間を知るようなところがありました。
朝から晩まで怒られてるから、親は大変だったと思いますよ。ホントに。
だから怒られない、手も出されない今の子供たちを見ていると
感慨深いものがありますね。ま~それぞれですが…。
上の言葉をよくうちのおば~に言われてました。
意味は、
(しょっちゅう、文句ばかり言ってると、(お前を)オレがとって投げるよー)です。
はごーを、ごーとはーに別けたのかな~?面白いですね。
このごーぐちが苦難、非難になったのが“口難”(くちなん)です。
pm11:00訂正;
スイマセン、やっぱりごーぐちと口難の違いは解りませんが、
口難は受け取った側が感じるモノかと思います。
本題はここからです。
誰でも相談を受ける時がありますが、その時に注意してほしいことがあります。
その前に《人は誰でも心の周波数を持っている》と考えてくださいね。
相談をする側のAさん 周波数356
相談を受ける側のBさん 周波数487
二人の心には開きがあります。
相談者Aさんは今の現状を改善したくて、苦しみや辛さを語ってきます。
それを受ける側Bさんも、相談者の気持ちを理解するべく、親身になって聞いていきます。
AさんはBさんが理解しやすいように周波数を上げて、
BさんはAさんを理解するために周波数を下げていきます。
すると、だんだん波長が合ってきます。
すると、だんだん気持ちがわかってきます。
ですが、
僕は相手の周波数に降りていくことを、ある時期からやめました。
※仮説として話そうと思いましたが
これは僕の実体験です
相談者側がもくもくと苦しみを伝えている時、
相談者の身体から放たれた、負の念体エネルギーが、
僕の両脇をすごい勢いで通り抜けていくのが観えたからです。
時速にすると50キロくらいでしょうか。
それは身体にも感覚がありました。
僕は坊主なので髪はありませんが、(笑)
風で髪がたなびき、頬を通り抜けていく。
僕の身体がゆらめいているようなを感覚です。
あとになってそれは、
(エネルギー体の自分がたなびいていたんだなー)って思いました。
音まで聞こえてくるような感覚!
ゴーっと言う流れの中で、通り過ぎる瞬間にヒュン、ヒュ、ヒュ、ヒュン!
さわやかな風…とはいきませんが、
その感覚が面白くてずっと楽しんでました。
(スゲーっ!スゲーっなんだこれは~)って。笑
僕は思念が観えたことで、避ける術を身に付けることが出来たけど、
この思念を正面から受けてる人は大変だな~って思いました。
相手の方には悪いけど、
どこまで避けることが出来るのか?挑戦してました。
相手の思念が僕を通過していく時、少しづつ思念を残していったようで、
完全に避けることは出来ませんでした。
相手に周波数を合わせなくても、解決が出来ることを学びましたね。
ありがたいさ~!
僕には以前から変な能力???があります(リーディングかな?)
相手が10のことを話す前に、
1~2で解ってしまうことがあります。
もっと詳しく言うと、
相手が一言~二言、説明し終える前に、解決策が解ってしまう時があるんです。
だから電話で相手がこちらに伝えている時でも、
さえぎってまで自分の話をしてしまいます。
その時の僕は気持ちがとても焦っています。
Q,それはなぜか?
相手に伝えたい事は出てくるけど、言わないとどんどん忘れていくから。笑
Q,なんで忘れる?
自分で考えて出した言葉じゃないから。
Q,つまり?
僕の思考じゃないんです。
いや、僕の思考のはず?あーわからない。わからない。
相手が全部、10話、終えてからアドバイスすると
最後の10の問題のアドバイスしか覚えてなくて、
1~9でそれぞれ出た答えは忘れてます。
だからいつも僕は、
「オレ、さっきなんて言ったっけ?」なんて言いやがります。笑
これって僕にとっては笑い事じゃないので、夢の屋の宝さんに
「僕は自分の言ったことを覚えていないんです。」
って、相談したら「私もよ。」って言われました。
結局なんなのか?いまだにわかりません。笑
そしてあまりにもおかしな出来事があると、
僕は自分で(自分は頭がおかしいんだ)と思うようになって落ち込み、
そのおかしな出来事も《なかったこと》にしてしまいます。
つまり起きた出来事を忘れる。
それで身(精神を)を守ってるんだと思います。
そうでもしないと自分の存在さえ否定してしまうので。。。
今までそうしてました。そうしてたけど…。
僕のまわりのブロガーさん達が
似たようなことをするもんだから、思い出してしまうんですよねー(笑)
話がずれたけど、言いたかったことは、
相談されるときは柳のように《受け流すこと》です。
医者が無表情で、診断や診察をやってるのに似ています。
機械のようにやってるような人がいますよね!?
だから練習すれば出来るようになるはずです。
これは同調しやすい人にこそ、必須です。
同調するとき、しないときを、自分で意識して創れるようになることです。
医者はすべて相手の気持ちに立って診断すると
自分の身を壊してしまうことを《経験から知っている》んでしょう。
《想いは身体と密接に関係してる》ことはもう理解してますよね。
親身になって受け答えしていると、相手の苦しみや痛みが
自分の身体に影響を及ぼしてしまうので気を付けましょう。
同調するなら良い出来事を分かち合う方が良いですよ。
この話をしたことには理由があって…
これを踏まえた上で次の話に続くんです。
(次の話はもうちょっと待ってください。汗)
今の僕に同調しないほうがいいですよー。
火曜の伊計島で勝手にヒッチハイクされて……(痛)
もう、だいたいでどんな人だったのか?解ってますが、
何でも首を突っ込む僕の性格が災いしました。
首を…は、違う意味にもかけています!(笑)
あー、でも探るのは表層だけにして下さいっ!
僕は同調しすぎて、大変なことになりましたよー(汗)
お前とオレとは違う。そんなときどうする!?
2008年07月27日 / 気付き
昨日は休みだったので、久しぶりに中央図書館でちょっとまったりした後、
本を借りて家で読んでました。昨日のことは次に書くとして…。
今回は僕の反省文です(笑)
前回の話で僕はこう書きました。
> 霊的なビジョンを見たり、霊的な者とコンタクトすることが「学び」ではありません。
自分が書いたその言葉が心に引っかかって…。ずっと気になってました。
自分で書いてて申し訳ないけど、《これは間違いだ》と思っています。
この世で起きる出来事や、身を持って体験し理解したことすべてが
「学び」だと、改めて思います。
何事も否定してはならない。否定からは何も生まれない。
これは僕のスタンスでしたが、
その考えから外れていましたね。どーもスイマセン。
そんなことから始まった今回の記事ですが、
否定とは“別けること”である。
と、「バシャール」という本で書いてありましたが、
最初はまったく意味がわかりませんでした。
例えば他人が「僕の考えは○○です。」と述べる。
その意見が自分とあまりにもかけ離れていると、人は拒絶反応を起こしてしまいます。
経験してない人にはそれが理解出来ない時がある。
育った環境によって経験の違いが出てくるので、
他人の意見が理解できないのはある意味当然のこと。
人間は自分の考えや価値観がベースとなってるからです。
人間はフィルターや色めがねでモノを見ている。とか、
自分のものさしで世間を見るな!とかいうのを聞いたことがあります。
僕はそういったことすべてがいけない!とは思えないんです。
人はそうやって“自分の心や信念を守っている”時があるからです。
その人が守ろうとしているものを僕は壊せません。
人は自分の考えで生きていて、自分の経験で活きてきた。
やがてはそれが個を作り上げていくわけです。
(違いを持ってそれぞれの《個》と成す・完成する)
それで自分軸という塔を築きながら、完成を目指すわけですね。
だから極論すると「自分は正しい」で、「他人は間違い」となるわけです。
そうしないと自分の軸がブレてしまうので。
やっぱり人は、同じ考えや価値観を共有してる人に安心・安定を覚えます。
そのために学校や職場、環境でも
自分と異なる人・考えを、別けたり排除したりしてしまうことがあります。
自分にとって居心地の良い環境を求めるためですが、これも仕方のないことかもしれません。
話は変わりますが…、
物質とは作られたモノ・物・者ですね。
人であってもその原理からは逃れられません。これはルールであり破壊と再生の仕組みです。
やがてはすべて消えて無くなります。
地球ももちろん物質で、いずれは消滅するということです(地球人というくくりも今だけ。本当の正体は?笑)
僕たちの心は永遠のモノなのに、現実という世界は永遠ではない。
僕たちが常に望むことは《幸せであること》なのに、
ここには限られた幸せしか存在しない。ということになります。
それでは永遠である僕らは、ここへ何の為にやってきたのでしょか?
体験学習です。身をもって学ぶことです。
色んなことを見る、触れる、聞く、匂う、味わう。
そうすると、どうなるのか…!?
「あの匂いとこの匂いは違う。」
「あの味と、この味は違った。」
学べば学ぶほどにたくさんの違いを知り、理解出来るんです。
家庭内や学校、職場など、どんな環境でも常に人が関わっています。
同じ考えの人が集まってしまうと、「学び」としては僕は“薄い”と思うんです。
こんなに考えが異なる人同士が集まれる環境は本当に珍しいと思えます。
※あの世は同じ考えの心同士で集まっている。と僕は考えます。
(ソウルメイトも似たようなもの)
みんなそれぞれの生き方(学び)が違う。ということがだんだん分かってくる、
違いを知る。ということも「学び」なんです。
※違い(人)を理解するのは難しくても、違いを知り、
認め容認することは出来る。という考えです。
「私は私だけど、貴方は貴方の考えがあっていい。」わけですよね。
別けるのではなく「繋げていく」
繋がりが人や自分を強く大きくすることだと…。
バシャールの言いたいことはそこだと思います。
違いを排除するということが、
「学び」を排除することにならないように、
これからも違い(人)を認めていけたらいいなと思います。
本を借りて家で読んでました。昨日のことは次に書くとして…。
今回は僕の反省文です(笑)
前回の話で僕はこう書きました。
> 霊的なビジョンを見たり、霊的な者とコンタクトすることが「学び」ではありません。
自分が書いたその言葉が心に引っかかって…。ずっと気になってました。
自分で書いてて申し訳ないけど、《これは間違いだ》と思っています。
この世で起きる出来事や、身を持って体験し理解したことすべてが
「学び」だと、改めて思います。
何事も否定してはならない。否定からは何も生まれない。
これは僕のスタンスでしたが、
その考えから外れていましたね。どーもスイマセン。
そんなことから始まった今回の記事ですが、
否定とは“別けること”である。
と、「バシャール」という本で書いてありましたが、
最初はまったく意味がわかりませんでした。
例えば他人が「僕の考えは○○です。」と述べる。
その意見が自分とあまりにもかけ離れていると、人は拒絶反応を起こしてしまいます。
経験してない人にはそれが理解出来ない時がある。
育った環境によって経験の違いが出てくるので、
他人の意見が理解できないのはある意味当然のこと。
人間は自分の考えや価値観がベースとなってるからです。
人間はフィルターや色めがねでモノを見ている。とか、
自分のものさしで世間を見るな!とかいうのを聞いたことがあります。
僕はそういったことすべてがいけない!とは思えないんです。
人はそうやって“自分の心や信念を守っている”時があるからです。
その人が守ろうとしているものを僕は壊せません。
人は自分の考えで生きていて、自分の経験で活きてきた。
やがてはそれが個を作り上げていくわけです。
(違いを持ってそれぞれの《個》と成す・完成する)
それで自分軸という塔を築きながら、完成を目指すわけですね。
だから極論すると「自分は正しい」で、「他人は間違い」となるわけです。
そうしないと自分の軸がブレてしまうので。
やっぱり人は、同じ考えや価値観を共有してる人に安心・安定を覚えます。
そのために学校や職場、環境でも
自分と異なる人・考えを、別けたり排除したりしてしまうことがあります。
自分にとって居心地の良い環境を求めるためですが、これも仕方のないことかもしれません。
話は変わりますが…、
物質とは作られたモノ・物・者ですね。
人であってもその原理からは逃れられません。これはルールであり破壊と再生の仕組みです。
やがてはすべて消えて無くなります。
地球ももちろん物質で、いずれは消滅するということです(地球人というくくりも今だけ。本当の正体は?笑)
僕たちの心は永遠のモノなのに、現実という世界は永遠ではない。
僕たちが常に望むことは《幸せであること》なのに、
ここには限られた幸せしか存在しない。ということになります。
それでは永遠である僕らは、ここへ何の為にやってきたのでしょか?
体験学習です。身をもって学ぶことです。
色んなことを見る、触れる、聞く、匂う、味わう。
そうすると、どうなるのか…!?
「あの匂いとこの匂いは違う。」
「あの味と、この味は違った。」
学べば学ぶほどにたくさんの違いを知り、理解出来るんです。
家庭内や学校、職場など、どんな環境でも常に人が関わっています。
同じ考えの人が集まってしまうと、「学び」としては僕は“薄い”と思うんです。
こんなに考えが異なる人同士が集まれる環境は本当に珍しいと思えます。
※あの世は同じ考えの心同士で集まっている。と僕は考えます。
(ソウルメイトも似たようなもの)
みんなそれぞれの生き方(学び)が違う。ということがだんだん分かってくる、
違いを知る。ということも「学び」なんです。
※違い(人)を理解するのは難しくても、違いを知り、
認め容認することは出来る。という考えです。
「私は私だけど、貴方は貴方の考えがあっていい。」わけですよね。
別けるのではなく「繋げていく」
繋がりが人や自分を強く大きくすることだと…。
バシャールの言いたいことはそこだと思います。
違いを排除するということが、
「学び」を排除することにならないように、
これからも違い(人)を認めていけたらいいなと思います。
一つはみんなの為に みんなは一つの為に
2008年07月24日 / 気付き
ちょっとだけ僕の例え話しを聞いてください。
僕は自分という存在を《戦闘機》のようなものだと想定して考えました。
地球というステージを自ら選んで赴任してきた僕。
それぞれの戦闘機には、帰還するための母艦がありますが、
その空母も帰還する場所、指令基地のような大元のベースがあります。
そこには軍の高官や役人がいて、さらにその奥には、
全指令を司る総裁の《大元帥》がいます。
下は僕が組み立てて簡略化したものです。
大元帥 → 神
↓指令
幹部・役人 → 菩薩如来
↓
母艦 → 魂(大元の)
↓
戦闘機 → 自分
御嶽や神社等は前線基地。
任命された土地神だったり、菩薩だったり、根神・根人だったり。
任の重要度では超大物だったり。
参考にした文献はありませんが、
軍という表現は戦うためではなくて、地球を攻略・探査するという意味。
どちらも周波数の違いで繋がってます。
すべては大きな一つというくくりです。
でも今、それぞれ個々の意識が別けられているのは、
個としての自分を完成させるため。大往生、感無量を目指して。
それでも完全に別けられているわけでもありません。
オール・フォー・ワン、ワン・フォー・オール。
僕の昔のメアドですが(笑)
訳すと、「一人(一つ)はみんなの為に、みんなは一人(一つ)の為に」です。
フット・ボールの言葉では一つではなくて、一人でした。
それが気に入ってメアドにしましたが、上の仕組みを見てたら、
この言葉を思い出しました。
戦闘機なので給油がないと飛べないし、機械も休ませる時間も必要。
人が眠るという行為は《母艦》に帰還する行為。
帰還しているあいだの母艦では、給油修理などの自分の微調整や、
軌道修正・指令の確認・目標・達成するノルマ等を話し合い再確認しています。
また、
地球での調査、データ結果もすべて上に報告され、最終的には大元帥まで届く仕組み。
これが《受信》と《送信》
寝ている時の送受信は義務とか規定によるものが多い。
※地球の時間は基準にならない。
念やテレパシーは時間に影響されず一瞬で届く。
って言うか、この一瞬という言葉も時間概念だ。笑
「おっ!これは…」と言うような“目を見張る”働きをする者、
功績を認められた者は当然、その地位や役職も上がっていく。
だから同じ戦闘機でも同じ軍曹レベルではなくて、大佐であったり少尉だったりします。
どの母艦も搭載している戦闘機は全部で七機。
しりえいさんの言っている七つのまぶや~はここに帰還する。(と思う。笑)
それぞれのまぶや~は無線で繋がり合っている。僕らは一心同体。
僕が情報を得ると、無線で他のまぶや~にも伝わる。
それを意識することができたり、無意識上で行われたり…。
向こうの世界では、魂はそれぞれ評価データ化されています。
実績は残されるということです。良い行いもカルマも含め。
まぶや~が七つに分かれていても、同じ母艦から生まれた機体で元は一つ。魂は一つ。
別けられていても、完全に別けることはできない。
※母艦が帰還するような
さらに大きな母艦もあるかも知れないけど
きりがないので書きません。笑
僕の魂の評価が 95,999点 だったとします。他の七つのまぶや~も同じ点数です。
今日一日の任務をクリアして、0,001点が加算された。
それを足して96点。
僕という魂は96点という基準(点)になり、そのデータは
他の七つのまぶや~にも一斉に上書きされて、96点になる仕組みです。
一番高い点数を基準にしています。
点数を上げるための働きとは「学び」。
霊的なビジョンを見たり、霊的な者とコンタクトすることが「学び」ではありません。
「学び」とは人生や生活の中に存在するのです。
そこが一番、勘違いしてほしくないところです。
ビジョンが見えたり、コンタクトを取ることが出来る者、
霊的な特徴を持つ者は僕流に言えば、それは一種の「技」の一つ。
階級を飛び超えて直接、菩薩・如来等の神の域にリンクしてコンタクトする。
高い周波数無線を意識して受信出来る能力は、
絵の才能や、音楽の才能持っていることと同じもの。
絵のうまい親から、絵の才能を持つ子供が生まれたりもします。
もちろん、すべてではありませんよ。
僕の家族は一人を除いて(笑)知っているだけで三世代、
何かしらの霊的能力を持っています。
もっと古い時代では、集落の神官を代々うちの家系が勤めていたと聞いたことがあります。
もしかしたら近い将来には、科学の発達でDNAを見ただけで、
伸びやすい能力がわかるようになるかも知れません(笑)
○能力の高さは精神力の高さ?
話がそれたけど、どんな世界にもこんな人がいますよ。
“技に溺れうぬぼれている人”
誰かを指して言っているわけではありませんよ(笑)
自分がそうだったから。とだけ言っておきます。
何かの能力に長けていることは、
もちろん素質も必要だけど、経験や努力を重ねることによって伸びていきます。
どんな能力であっても、それを伸ばすには
《精神力の高さ》が必要になるので、おのずと心も磨かれます。
本当は比例して伸びると思います。
だけど時と場合によっては、自分のやってきたことに成果が見えだすと、
嬉しさのあまり自分を見失って、心をどこかに置き忘れてしまうことがあります。
(自分のことです!笑)
常に落ち着いて自分を振り返り「人としてどうあるべきか?」
という確認を、心がけたいものです。
自分を見失っている時は周りが見えていません。
周りとは環境であり、環境は自分の心を映し出している鏡です。
人は能力の素質も備えていますが、欠点も当然備えています。
それは前世からのカルマも関係しているでしょうね。
人を敬う心が欠落してたり、トラウマを抱えていても
悩み苦しみ試行錯誤して、心を成長させることが出来る。
人が何度も輪廻するのは、
《ここでしか成長できないこと》があるからだと思う。
大きな目で見れば、すべては同じ存在、大きな一つです。
人の為にしていたことが、自分の為に成っていた。
自分の為にしていたことが、つまりはみんなの為に成っていた。
こんなことが言える大人に成りたいです。
僕は自分という存在を《戦闘機》のようなものだと想定して考えました。
地球というステージを自ら選んで赴任してきた僕。
それぞれの戦闘機には、帰還するための母艦がありますが、
その空母も帰還する場所、指令基地のような大元のベースがあります。
そこには軍の高官や役人がいて、さらにその奥には、
全指令を司る総裁の《大元帥》がいます。
下は僕が組み立てて簡略化したものです。
大元帥 → 神
↓指令
幹部・役人 → 菩薩如来
↓
母艦 → 魂(大元の)
↓
戦闘機 → 自分
御嶽や神社等は前線基地。
任命された土地神だったり、菩薩だったり、根神・根人だったり。
任の重要度では超大物だったり。
参考にした文献はありませんが、
軍という表現は戦うためではなくて、地球を攻略・探査するという意味。
どちらも周波数の違いで繋がってます。
すべては大きな一つというくくりです。
でも今、それぞれ個々の意識が別けられているのは、
個としての自分を完成させるため。大往生、感無量を目指して。
それでも完全に別けられているわけでもありません。
オール・フォー・ワン、ワン・フォー・オール。
僕の昔のメアドですが(笑)
訳すと、「一人(一つ)はみんなの為に、みんなは一人(一つ)の為に」です。
フット・ボールの言葉では一つではなくて、一人でした。
それが気に入ってメアドにしましたが、上の仕組みを見てたら、
この言葉を思い出しました。
戦闘機なので給油がないと飛べないし、機械も休ませる時間も必要。
人が眠るという行為は《母艦》に帰還する行為。
帰還しているあいだの母艦では、給油修理などの自分の微調整や、
軌道修正・指令の確認・目標・達成するノルマ等を話し合い再確認しています。
また、
地球での調査、データ結果もすべて上に報告され、最終的には大元帥まで届く仕組み。
これが《受信》と《送信》
寝ている時の送受信は義務とか規定によるものが多い。
※地球の時間は基準にならない。
念やテレパシーは時間に影響されず一瞬で届く。
って言うか、この一瞬という言葉も時間概念だ。笑
「おっ!これは…」と言うような“目を見張る”働きをする者、
功績を認められた者は当然、その地位や役職も上がっていく。
だから同じ戦闘機でも同じ軍曹レベルではなくて、大佐であったり少尉だったりします。
どの母艦も搭載している戦闘機は全部で七機。
しりえいさんの言っている七つのまぶや~はここに帰還する。(と思う。笑)
それぞれのまぶや~は無線で繋がり合っている。僕らは一心同体。
僕が情報を得ると、無線で他のまぶや~にも伝わる。
それを意識することができたり、無意識上で行われたり…。
向こうの世界では、魂はそれぞれ評価データ化されています。
実績は残されるということです。良い行いもカルマも含め。
まぶや~が七つに分かれていても、同じ母艦から生まれた機体で元は一つ。魂は一つ。
別けられていても、完全に別けることはできない。
※母艦が帰還するような
さらに大きな母艦もあるかも知れないけど
きりがないので書きません。笑
僕の魂の評価が 95,999点 だったとします。他の七つのまぶや~も同じ点数です。
今日一日の任務をクリアして、0,001点が加算された。
それを足して96点。
僕という魂は96点という基準(点)になり、そのデータは
他の七つのまぶや~にも一斉に上書きされて、96点になる仕組みです。
一番高い点数を基準にしています。
点数を上げるための働きとは「学び」。
霊的なビジョンを見たり、霊的な者とコンタクトすることが「学び」ではありません。
「学び」とは人生や生活の中に存在するのです。
そこが一番、勘違いしてほしくないところです。
ビジョンが見えたり、コンタクトを取ることが出来る者、
霊的な特徴を持つ者は僕流に言えば、それは一種の「技」の一つ。
階級を飛び超えて直接、菩薩・如来等の神の域にリンクしてコンタクトする。
高い周波数無線を意識して受信出来る能力は、
絵の才能や、音楽の才能持っていることと同じもの。
絵のうまい親から、絵の才能を持つ子供が生まれたりもします。
もちろん、すべてではありませんよ。
僕の家族は一人を除いて(笑)知っているだけで三世代、
何かしらの霊的能力を持っています。
もっと古い時代では、集落の神官を代々うちの家系が勤めていたと聞いたことがあります。
もしかしたら近い将来には、科学の発達でDNAを見ただけで、
伸びやすい能力がわかるようになるかも知れません(笑)
○能力の高さは精神力の高さ?
話がそれたけど、どんな世界にもこんな人がいますよ。
“技に溺れうぬぼれている人”
誰かを指して言っているわけではありませんよ(笑)
自分がそうだったから。とだけ言っておきます。
何かの能力に長けていることは、
もちろん素質も必要だけど、経験や努力を重ねることによって伸びていきます。
どんな能力であっても、それを伸ばすには
《精神力の高さ》が必要になるので、おのずと心も磨かれます。
本当は比例して伸びると思います。
だけど時と場合によっては、自分のやってきたことに成果が見えだすと、
嬉しさのあまり自分を見失って、心をどこかに置き忘れてしまうことがあります。
(自分のことです!笑)
常に落ち着いて自分を振り返り「人としてどうあるべきか?」
という確認を、心がけたいものです。
自分を見失っている時は周りが見えていません。
周りとは環境であり、環境は自分の心を映し出している鏡です。
人は能力の素質も備えていますが、欠点も当然備えています。
それは前世からのカルマも関係しているでしょうね。
人を敬う心が欠落してたり、トラウマを抱えていても
悩み苦しみ試行錯誤して、心を成長させることが出来る。
人が何度も輪廻するのは、
《ここでしか成長できないこと》があるからだと思う。
大きな目で見れば、すべては同じ存在、大きな一つです。
人の為にしていたことが、自分の為に成っていた。
自分の為にしていたことが、つまりはみんなの為に成っていた。
こんなことが言える大人に成りたいです。
夢で赤点とったどー!笑 【 キリスト教編 】
2008年07月23日 / 夢・イメージ
mixiを開いた花屋はあらためて思った。
僕はいつもいつもヘンテコなタイトルを付けているので、
マイミクの方々には「花屋はとうとう頭がヘンになった。」と
思われてるんじゃないか?って…。
そう考えたら、もっともっと“自分道”を極めたくなった。笑
最近は誰とも会ってないけど、「レイキメンバーのみんなは元気かなー!?」
(あっ、こっちの話でスイマセンです。。。)
先週の日曜夕方頃から、急に首ねっこの《霊門》のところが痛くなって(専門用語を使ってみる。笑)
我慢しながら仕事をこなしていた。
あ~、また念のたぐいか憑依か?と思って、
レイキ(気功の一種)を流しながら感とってた。
霊か?生霊か?口難か?
レイキを当てながら探ってったけど、
どれもあいまいではっきりせず一向に痛みが引かない。
気を流すと普通なら少しづつ痛みが引いていくのに…。
なので、気を流すのをやめて首を回しつつ痛みの感覚を味わっていたら、
はっ!もしかして上から???(魂とか天のこと)と感じた。
うわーっ、だとしたらもっと嫌だ!(笑)
経験上、痛みで動かされたり理解することってロクなことがない。
気が付くと胸焼けしていて、唾液が止まらず最悪のコンディション。
早く横になりたくて
さっさと仕事を片付け家に帰って風呂に入って寝た。そして夢を見た。
そこは古い教会?寺院の中?
20人弱の少年少女が集まっていてその中に幼い僕がいた。
所々、穴の開いた木の机に各々座って授業を受けている子供たち。
先生も生徒も、白色?ねずみ色?の、昔のドリフの歌の合唱の時に着ていたような服を着てる。
頭には刺繍で編んだような丸くて白い布をのせている。
(テレビで良く見るけどアレってなんだろう!?)
それにしても授業中だというのに誰も先生の話を聞いてない。
みんな休み時間のように遊んでたし、僕も遊んでた。
ただ、先生がジェスチャーを交えて必死になって教えていたのは知っていた…。
先生の授業が終わった。と、
思ったら、いきなり用紙が配られてテストを始めよったからさぁ大変!笑
ゴワゴワしたねずみ色した厚紙。というか布だよ、これ(笑)
さらにビックリしたのがこの布…いや、用紙は
質問の問いも答を埋める空欄もない、
線も引かれてないただの紙だった。
問題文は黒板のような真っ黒な板に書かれていた。全部で10問。
仕方がないから自分で答えの欄を書いた。
↓
1の答え □☆
2の答え ○△ ~って用紙に書いた
でも、僕らはマジメに授業を受けてないので、
誰も答えを知らずみんな顔を見合わせてテンパってた。
授業を聞いてさえいれば簡単な問題ばかり。
問1、(現)法王の後輩にあたるこの人物は誰?
問2、この教会の名称は?
とか、こんな問題だった。
(目が覚めた時は10問全部覚えてたのに…残念~)
でも先生は最後までやさしかった。
テスト中なのに生徒同士で答えを教えあってた僕らに、
横で身振り手振りで答えを教えていた。
けど全然伝わってこなかった…。
ジェスチャーで人の名前は伝わらないから~(笑)
ようするにテストを受けさせるために
僕の首ねっこをつかんで「早く寝ろっ!」って言ってたんだな~。
そして
答えをほとんど書けなかった僕。1問目と2問目だけ…(笑)
「お前はまだこんなモンさ!」って、誰かが見せてるんだろう。。。
僕は自分の学びに納得してない。それは自分でもわかってた。
生きてる限りずっと学びだと思ってるから。
だから全然、落ち込まなかった。
(少しは反省しろよっ!)っていうくらい、気分は上々!でした。
でもなんで夢の内容がキリスト教で、それにまつわる勉強をさせられたんだろう?
一度も教会に行ったことはないし、
「この○○の寺院はいつ、誰が、建てたのか?」なんてこと、わかるわけがない。
そういったこと、僕の知らない知識を、先生は色々と教えてきよったけど…。
それが予想外のことでとても新鮮だった。楽しかった。
僕は自分でも仏教に傾いてるなぁ~っていう自覚を持っていたから。
そのせいで反省がなかったのかも知れん(笑)
一ヶ月ほど前に、あるキリスト系信者と仲良くなったことも関係してるのかな?
僕はこれから先も宗教に入ることはないと思います。
でも宗教を信仰するのは個人の自由、それでいいと思ってます。
僕はいつもいつもヘンテコなタイトルを付けているので、
マイミクの方々には「花屋はとうとう頭がヘンになった。」と
思われてるんじゃないか?って…。
そう考えたら、もっともっと“自分道”を極めたくなった。笑
最近は誰とも会ってないけど、「レイキメンバーのみんなは元気かなー!?」
(あっ、こっちの話でスイマセンです。。。)
先週の日曜夕方頃から、急に首ねっこの《霊門》のところが痛くなって(専門用語を使ってみる。笑)
我慢しながら仕事をこなしていた。
あ~、また念のたぐいか憑依か?と思って、
レイキ(気功の一種)を流しながら感とってた。
霊か?生霊か?口難か?
レイキを当てながら探ってったけど、
どれもあいまいではっきりせず一向に痛みが引かない。
気を流すと普通なら少しづつ痛みが引いていくのに…。
なので、気を流すのをやめて首を回しつつ痛みの感覚を味わっていたら、
はっ!もしかして上から???(魂とか天のこと)と感じた。
うわーっ、だとしたらもっと嫌だ!(笑)
経験上、痛みで動かされたり理解することってロクなことがない。
気が付くと胸焼けしていて、唾液が止まらず最悪のコンディション。
早く横になりたくて
さっさと仕事を片付け家に帰って風呂に入って寝た。そして夢を見た。
そこは古い教会?寺院の中?
20人弱の少年少女が集まっていてその中に幼い僕がいた。
所々、穴の開いた木の机に各々座って授業を受けている子供たち。
先生も生徒も、白色?ねずみ色?の、昔のドリフの歌の合唱の時に着ていたような服を着てる。
頭には刺繍で編んだような丸くて白い布をのせている。
(テレビで良く見るけどアレってなんだろう!?)
それにしても授業中だというのに誰も先生の話を聞いてない。
みんな休み時間のように遊んでたし、僕も遊んでた。
ただ、先生がジェスチャーを交えて必死になって教えていたのは知っていた…。
先生の授業が終わった。と、
思ったら、いきなり用紙が配られてテストを始めよったからさぁ大変!笑
ゴワゴワしたねずみ色した厚紙。というか布だよ、これ(笑)
さらにビックリしたのがこの布…いや、用紙は
質問の問いも答を埋める空欄もない、
線も引かれてないただの紙だった。
問題文は黒板のような真っ黒な板に書かれていた。全部で10問。
仕方がないから自分で答えの欄を書いた。
↓
1の答え □☆
2の答え ○△ ~って用紙に書いた
でも、僕らはマジメに授業を受けてないので、
誰も答えを知らずみんな顔を見合わせてテンパってた。
授業を聞いてさえいれば簡単な問題ばかり。
問1、(現)法王の後輩にあたるこの人物は誰?
問2、この教会の名称は?
とか、こんな問題だった。
(目が覚めた時は10問全部覚えてたのに…残念~)
でも先生は最後までやさしかった。
テスト中なのに生徒同士で答えを教えあってた僕らに、
横で身振り手振りで答えを教えていた。
けど全然伝わってこなかった…。
ジェスチャーで人の名前は伝わらないから~(笑)
ようするにテストを受けさせるために
僕の首ねっこをつかんで「早く寝ろっ!」って言ってたんだな~。
そして
答えをほとんど書けなかった僕。1問目と2問目だけ…(笑)
「お前はまだこんなモンさ!」って、誰かが見せてるんだろう。。。
僕は自分の学びに納得してない。それは自分でもわかってた。
生きてる限りずっと学びだと思ってるから。
だから全然、落ち込まなかった。
(少しは反省しろよっ!)っていうくらい、気分は上々!でした。
でもなんで夢の内容がキリスト教で、それにまつわる勉強をさせられたんだろう?
一度も教会に行ったことはないし、
「この○○の寺院はいつ、誰が、建てたのか?」なんてこと、わかるわけがない。
そういったこと、僕の知らない知識を、先生は色々と教えてきよったけど…。
それが予想外のことでとても新鮮だった。楽しかった。
僕は自分でも仏教に傾いてるなぁ~っていう自覚を持っていたから。
そのせいで反省がなかったのかも知れん(笑)
一ヶ月ほど前に、あるキリスト系信者と仲良くなったことも関係してるのかな?
僕はこれから先も宗教に入ることはないと思います。
でも宗教を信仰するのは個人の自由、それでいいと思ってます。
出来事の本質は変化のエネルギーか?
2008年07月22日 / 気付き
こんちは~
ご無沙汰してました、花屋です。
やっとここに帰ってくることができました。
去年も一昨年も、その前もそうでしたが
去った六月という時期は、僕のバイオリズムが最も停滞する月なんです。
また、
今年もさまざまな出来事が重なって、
例年通り(笑)僕の中で葛藤を繰り返していました。
そのあいだ心の中はどんよりと曇ってましたよ(笑)
この心の嵐に根負けして開き直り、感情に任せて行動してしまうと、
さらに自分自身を傷つけてしまうことも、経験して分かっていたので
荒れる心を必死に“自分は自分だ!”と言い聞かせ
嵐が去るのをじっと待ってました。
こんな時はネガティブ感情が心に去来してます。
最初は他人の言動や行動を否定することに始まり、
最終的には自分自身の存在とかを全否定します(笑)必ず。
書いていて思ったのは…
僕にとっての六月は、もしかしたら心の決済とか決算の時期なのかも知れない。
ここで一年を振り返ってみて
僕は何をしてきたのか
何を残せたのか
このままでいいのか…
もし 成長出来なかったと感じていたり
何も残せなかったと考えるなら
僕がそこに生きている意味は
ここに存在する意味は…
今わかってるだけでも年に一回は(人によって違うけど)
僕の本質である魂が、思考する物質である人間としての自分に、
厳しく訴えかける。
目標の再確認や心の軌道修正を突き付けている、と僕は考えました。
魂:『すべてを与えてやってんのに何してんだよっ!』
(すべて=命・能力・特徴・環境・出来事等を含め)
ホントに僕はしょっちゅう怒られてますよ。
出来事で怒られ、夢でも怒られて…。
それも基本的なことで怒られてるので恥ずかしくて書けません(ヘンな意味じゃないですよ)
その魂の想いが、ネガティブ花屋に変身(笑)してるときはこう聞こえてきます。
魂:『じゃー、お前がそこにいる意味(生きてる意味)はあんのかっ!?おぉ!』と…。
(怖ぇー!^^;)
言ってみれば向こうは“本家”僕はしがない“分家”ですから。
分身というよりは分心かな?(うまいっ!笑)
でもやっぱり本家である魂はやさしいよ。
分家である“むぬわからんぬー(無知)”の僕に、色々アドバイスしてくれるんだから。
物事を謙虚に受け止めてこそ、アドバイスも身のうちに届く。
学ぶ姿勢とは謙虚さの表れです。
「だったら本家である魂がここに来て、修行したらいいじゃん!」と、
思うかも知れないけど学びの答えや、あらゆる仕組みを知っている魂では、
学びにならないと思う。
○あらゆることには二面性がある
一年のサイクルや干支のサイクルは《円》の動き。
季節が巡り、また同じ季節を迎えた時点で一周したことになります。
ここで大切なことは、
僕たちは円を描きながら力をため、
ここぞっ!という時に足を蹴り上げ、過去の自分を乗り越え
新しいステージへと舞い上がる。
円の動きが螺旋になっていればいいんです。
螺旋とは《次元上昇》の図。
上から見れば円の動き、横から見れば螺旋の動き。
一見すると同じように思われがちですがまったく違います。
円とはサイクルであり、基本であり、システムの比喩。
マニュアルを繰り返してるだけでは何の学びもありません。
人は常に思考や行動を起こすことが出来ます。
それが仕事での休憩中だったとしても、仲間との楽しいひとときであっても、
その中から学びを見出すことが出来ます。
寝ている時でさえ何かを学んでいると思います。
出来事には良い出来事や悪い出来事がありますが、
どのように感じるかは人それぞれ。
《雨が降れば傘屋が喜ぶ》ということは、
僕にとっての大問題は、他人にとっては小問題だったりする。逆もまた然り(発想の転換)
他人を知れば、自分を知ることが出来る(違いの質を知る)
傷つくことを恐れたり、執着の度が過ぎると、
そのこだわってる部分と一緒に取り残されてしまうけど、
心というものはよくできています。
人はショックを受けると内側にこもってしまうけど、
でもそのおかげで、出来事の本質の学びに気付くこともある。
魂としての自分自身が、その分身である思考する肉体の自分(表層の意識)に、
出来事をもって学ばそうとします。
※この世は陰と陽の二面性で成り立ち、こだわりというモノにも二面性があります。
「常に謙虚でいたい」「家族を大事にしたい」と思う強い心。それもこだわりの一つ。
こだわることで人が生きる活力にもなったりします。
ちなみに「常に謙虚でいたい」とは僕のこだわりの一つだけど、
こだわることすべてが悪いことではありません。
環境が出来事を生み、出来事がまた新しい環境を創る。
それも一つのサイクルです。
また、
環境(周り)は自分の内面を映し出した鏡だと言われていますね。
自身の波動のレベルが環境にも反映している。
と、、これは僕の考えですが…(汗)
心は本当に不思議なもの。
僕の心は平安を求めつつも、また違う部分では変化を求めています。
鏡である環境を変えたいと願うなら、まず自分を変える。
自分のフリや行ないが鏡に映るから、結局環境を変えるには自分が変わるしかない。
自分が変わると環境も変わってくる。
ここまでは本や講演会で言われていることで、僕もそれを実践し納得してるけど
ここからはさらに出来事の奥の話。
僕は以前、(なぜ、出来事は起き続けるんだろう?)と考えて、
出来事に意識を合わせて、奥深く潜ったときがありました。
そしたらいきなりその場所に着きました。
僕の場合、ビジョンが映画の幕のようにスクリーンに映し出される場合と
実際にその場所にいく場合があるけど、今回は実際に行ってきました。笑(ヘンな表現だな)
その空間にいきなりたどり着いて周りを見渡すと、
僕の下方にエネルギーのようなものが流れていました。
色はオレンジかピンクで、液体と固体の中間のような感じで川のように流れていました。
僕は(これってなんだろう?)と思ってみていると、
その下流が現世に流れ込んでいました。
違う世界から、この世の出来事に流入されてくる見えないエネルギー。
僕はそれが何かをずっと考えていたけど、
今の時点ではそれが《変化を促すエネルギー》か、
もしくは変化のエネルギーそのものだと思いました。
良い出来事にも悪い出来事にも共通しているのが変化。
(このままでいいのか?オレ!笑)という思いも、
その変化のエネルギーが、人体にも流れ込んで来ているんじゃないか?と思いました。
それで人は変わりたいと願うのかなぁと思ってます。
学びも、試練も、成長も、個性を磨くことも《変化》という言葉が変化したもので
それが時と場合によって言い方が異なるだけ。と僕は思うのです。
また、すべて変化と言っているのではなくて、
変化の中に在っても「変化してはならないもの」もあります。
ルールの一つでもある二面性。
悪と言われるものにも二面性があることに気付く。
人は経験を通して理解するし、今現在、悪に身を染めているとしても
悪に身を染めなければ分からないことも中にはあります。
悪という経験の中から、本当の真実、まことの心に気付くこともある。
人が言う正しさも、なにをもって“正しい”と言ってるのか?
だからといって、悪に染まりなさいと言ってるわけではありません。
前世で悪を経験している者、来世で経験する者もいるでしょうから。
ぼくにとってのブログは、点と点を結ぶまとめの作業の一つ。。
それぞれの学びを繋げていき、完成形を目指すけど、
ときには、その先にあるものを見ることが出来ることもある。
色んな物事から二面性を見つけてしまうと、ブログが書きにくくなります(笑)
「そしたら何も断言したり言い切れね~じゃん!」って。笑
でも実際、そうそう言い切れたり、断言したり出来ることって少ないと思います。
断言できる言葉や想いが「真理」でしょうね。
ご無沙汰してました、花屋です。
やっとここに帰ってくることができました。
去年も一昨年も、その前もそうでしたが
去った六月という時期は、僕のバイオリズムが最も停滞する月なんです。
また、
今年もさまざまな出来事が重なって、
例年通り(笑)僕の中で葛藤を繰り返していました。
そのあいだ心の中はどんよりと曇ってましたよ(笑)
この心の嵐に根負けして開き直り、感情に任せて行動してしまうと、
さらに自分自身を傷つけてしまうことも、経験して分かっていたので
荒れる心を必死に“自分は自分だ!”と言い聞かせ
嵐が去るのをじっと待ってました。
こんな時はネガティブ感情が心に去来してます。
最初は他人の言動や行動を否定することに始まり、
最終的には自分自身の存在とかを全否定します(笑)必ず。
書いていて思ったのは…
僕にとっての六月は、もしかしたら心の決済とか決算の時期なのかも知れない。
ここで一年を振り返ってみて
僕は何をしてきたのか
何を残せたのか
このままでいいのか…
もし 成長出来なかったと感じていたり
何も残せなかったと考えるなら
僕がそこに生きている意味は
ここに存在する意味は…
今わかってるだけでも年に一回は(人によって違うけど)
僕の本質である魂が、思考する物質である人間としての自分に、
厳しく訴えかける。
目標の再確認や心の軌道修正を突き付けている、と僕は考えました。
魂:『すべてを与えてやってんのに何してんだよっ!』
(すべて=命・能力・特徴・環境・出来事等を含め)
ホントに僕はしょっちゅう怒られてますよ。
出来事で怒られ、夢でも怒られて…。
それも基本的なことで怒られてるので恥ずかしくて書けません(ヘンな意味じゃないですよ)
その魂の想いが、ネガティブ花屋に変身(笑)してるときはこう聞こえてきます。
魂:『じゃー、お前がそこにいる意味(生きてる意味)はあんのかっ!?おぉ!』と…。
(怖ぇー!^^;)
言ってみれば向こうは“本家”僕はしがない“分家”ですから。
分身というよりは分心かな?(うまいっ!笑)
でもやっぱり本家である魂はやさしいよ。
分家である“むぬわからんぬー(無知)”の僕に、色々アドバイスしてくれるんだから。
物事を謙虚に受け止めてこそ、アドバイスも身のうちに届く。
学ぶ姿勢とは謙虚さの表れです。
「だったら本家である魂がここに来て、修行したらいいじゃん!」と、
思うかも知れないけど学びの答えや、あらゆる仕組みを知っている魂では、
学びにならないと思う。
○あらゆることには二面性がある
一年のサイクルや干支のサイクルは《円》の動き。
季節が巡り、また同じ季節を迎えた時点で一周したことになります。
ここで大切なことは、
僕たちは円を描きながら力をため、
ここぞっ!という時に足を蹴り上げ、過去の自分を乗り越え
新しいステージへと舞い上がる。
円の動きが螺旋になっていればいいんです。
螺旋とは《次元上昇》の図。
上から見れば円の動き、横から見れば螺旋の動き。
一見すると同じように思われがちですがまったく違います。
円とはサイクルであり、基本であり、システムの比喩。
マニュアルを繰り返してるだけでは何の学びもありません。
人は常に思考や行動を起こすことが出来ます。
それが仕事での休憩中だったとしても、仲間との楽しいひとときであっても、
その中から学びを見出すことが出来ます。
寝ている時でさえ何かを学んでいると思います。
出来事には良い出来事や悪い出来事がありますが、
どのように感じるかは人それぞれ。
《雨が降れば傘屋が喜ぶ》ということは、
僕にとっての大問題は、他人にとっては小問題だったりする。逆もまた然り(発想の転換)
他人を知れば、自分を知ることが出来る(違いの質を知る)
傷つくことを恐れたり、執着の度が過ぎると、
そのこだわってる部分と一緒に取り残されてしまうけど、
心というものはよくできています。
人はショックを受けると内側にこもってしまうけど、
でもそのおかげで、出来事の本質の学びに気付くこともある。
魂としての自分自身が、その分身である思考する肉体の自分(表層の意識)に、
出来事をもって学ばそうとします。
※この世は陰と陽の二面性で成り立ち、こだわりというモノにも二面性があります。
「常に謙虚でいたい」「家族を大事にしたい」と思う強い心。それもこだわりの一つ。
こだわることで人が生きる活力にもなったりします。
ちなみに「常に謙虚でいたい」とは僕のこだわりの一つだけど、
こだわることすべてが悪いことではありません。
環境が出来事を生み、出来事がまた新しい環境を創る。
それも一つのサイクルです。
また、
環境(周り)は自分の内面を映し出した鏡だと言われていますね。
自身の波動のレベルが環境にも反映している。
と、、これは僕の考えですが…(汗)
心は本当に不思議なもの。
僕の心は平安を求めつつも、また違う部分では変化を求めています。
鏡である環境を変えたいと願うなら、まず自分を変える。
自分のフリや行ないが鏡に映るから、結局環境を変えるには自分が変わるしかない。
自分が変わると環境も変わってくる。
ここまでは本や講演会で言われていることで、僕もそれを実践し納得してるけど
ここからはさらに出来事の奥の話。
僕は以前、(なぜ、出来事は起き続けるんだろう?)と考えて、
出来事に意識を合わせて、奥深く潜ったときがありました。
そしたらいきなりその場所に着きました。
僕の場合、ビジョンが映画の幕のようにスクリーンに映し出される場合と
実際にその場所にいく場合があるけど、今回は実際に行ってきました。笑(ヘンな表現だな)
その空間にいきなりたどり着いて周りを見渡すと、
僕の下方にエネルギーのようなものが流れていました。
色はオレンジかピンクで、液体と固体の中間のような感じで川のように流れていました。
僕は(これってなんだろう?)と思ってみていると、
その下流が現世に流れ込んでいました。
違う世界から、この世の出来事に流入されてくる見えないエネルギー。
僕はそれが何かをずっと考えていたけど、
今の時点ではそれが《変化を促すエネルギー》か、
もしくは変化のエネルギーそのものだと思いました。
良い出来事にも悪い出来事にも共通しているのが変化。
(このままでいいのか?オレ!笑)という思いも、
その変化のエネルギーが、人体にも流れ込んで来ているんじゃないか?と思いました。
それで人は変わりたいと願うのかなぁと思ってます。
学びも、試練も、成長も、個性を磨くことも《変化》という言葉が変化したもので
それが時と場合によって言い方が異なるだけ。と僕は思うのです。
また、すべて変化と言っているのではなくて、
変化の中に在っても「変化してはならないもの」もあります。
ルールの一つでもある二面性。
悪と言われるものにも二面性があることに気付く。
人は経験を通して理解するし、今現在、悪に身を染めているとしても
悪に身を染めなければ分からないことも中にはあります。
悪という経験の中から、本当の真実、まことの心に気付くこともある。
人が言う正しさも、なにをもって“正しい”と言ってるのか?
だからといって、悪に染まりなさいと言ってるわけではありません。
前世で悪を経験している者、来世で経験する者もいるでしょうから。
ぼくにとってのブログは、点と点を結ぶまとめの作業の一つ。。
それぞれの学びを繋げていき、完成形を目指すけど、
ときには、その先にあるものを見ることが出来ることもある。
色んな物事から二面性を見つけてしまうと、ブログが書きにくくなります(笑)
「そしたら何も断言したり言い切れね~じゃん!」って。笑
でも実際、そうそう言い切れたり、断言したり出来ることって少ないと思います。
断言できる言葉や想いが「真理」でしょうね。
東京イベント情報
2008年06月11日 / イベント
心の話に戻る前にちょっとお知らせしてもいいっスか?笑
僕の友人に 「遊書家のトシ」 がいます。
その彼が今回、東京で 出張!遊書教室を開催することになりました。
(パフーパフードンドン)^^;;
彼は今、ちむどんどん(どきどき)してると思います(笑)
エールを送りたいので、僕のブログを見てくれるみなさんへ
告知させてくださいね。
詳細はこちらから~ ↓
♪ワークショップ 遊書家トシの
遊び書き教室 in 東京 恵比寿♪
あなただけの言葉を、あなたの筆文字で描く♪
『 遊び書き教室 』
『遊書』って何???
遊書は、筆で自己表現をする方法です。
習字や書道を学校や教室などで習ったことがありませんか?
けど、遊書は、その習字や書道と明らかに違うところがあります。
それは 『お手本がない事』
お手本がないので、自分の字で表現してもらいます。
しかし、
「自分は字には自信がない。。。ましてや、筆で書くだなんて。。。」って、思うのではないでしょうか???
もちろん♪それでも大丈夫♪
遊書のポイントをおさえて、
それを踏まえて筆で字を描いてもらいます♪
すると、不思議とあなたの字が
生まれ変わっていきますよ♪
お楽しみに♪♪♪
日時 2008 6/21(土) 6/22(日)
両日とも ① 11時~2時 ② 3時~6時
☆お申し込みには、希望する日時を記入お願いします。
定員 各6人 合計24人
(21日②の時間は残り2人、22日はそれぞれ残り4人です)
(定員になり次第締め切らせて頂きます。ご了承ください)
料金 6000円 材料費込み・1ドリンク込み
美味しい備屋珈琲店のお飲み物も♪
そして、そして♪お申し込みの際、
花屋さんブログ♪
『 魂の目覚め うちなる自分からのメッセージを読んで♪』
と、書いていただければ
更に 6000円 ⇒ 5000円 での受講料金に致します♪
☆ お申し込みなさった方に振込先を連絡させていただきます。お振込み手数料はご負担をお願い致します。
☆ お申し込みはこちらから ⇒ http://form1.fc2.com/form/?id=306127
場所 備屋珈琲店 恵比寿店
http://www.binya-ebisu.tokyo.walkerplus.com/
持ち物 なし
(筆や練習紙、墨などはこちらで用意しています)
☆ 教室内容 ☆
1、『遊書』って何?
一体、遊書ってなんだろう。。。
お習字や書道と一番の違いは、『お手本がない事』
お手本がなくて、本当に書けるの?という質問が・・・
解答は ⇒ はい♪もちろん書けます♪
2、まずは筆ならし♪
久しぶりに筆を持ったり、
いや。。。筆を持った事がない・・・
それでも大丈夫♪
筆を持って、ウォーミングアップから開始です♪
3、さぁ~♪描こう♪
字を書くではなくて、『描く』
ここらへんで、『お手本がない』ことが
分かって頂けると思います♪
そして、必ずあなただけの書体が生まれますよ♪
4、よぉ~し♪ 作品を創る♪
テーマは ♪オキナワンチック♪
あなたが創る作品は、
いつも眺めていて欲しい大切なものだから、
沖縄の独特の紙、月桃紙(げっとうし)
に書いてもらって、
フレームには、
海からプレゼント♪綺麗な貝や白い珊瑚の石を
好きなように付けて飾ってもらいます。
ちょっと疲れたときに、一息入れたいときに、
沖縄の綺麗な海を思い出してもらえたらと。。。
こんな感じに♪ ↓ ↓ ↓

それには、
あなたの好きな言葉が
あなただけの書体で
あなただけの
オリジナル遊書作品が
出来上がります♪
自分の字を好きな人って少ないと思うんです。
筆で書くなんて尚更。とか・・・
けど、その字をもう一度見つめてほしいんですね。
その字は、あなた本人にしか書けない文字なんです。
分かってはいるんだけど。。。
ずっとこの字で書いてきたからなぁ~
この癖字はなかなか直らないし・・・
・・・と言う声が聞こえてきそうです。
けど、その字を、好きになる可能性があるのが『遊書』です♪
5つのポイントを押さえてもらい、筆で書くと
一味、二味加わった味のある書体が完成します♪
そんなあなただけの書体で、
あなたが好きな言葉を表現してみる。
そして、その作品をいつも眺めてみるんです。
最初は、気恥ずかしかったりしますが、
どんどん愛着が湧いて元気をもらう事が出来ます。
なぜか?
それは、あなただけにしか書けない字で
あなたが好きな言葉を表現したから♪
そこから、
『自分の字ってなかなかイイじゃん♪』って思えるようになって頂けたら、
トシはとっても嬉しいです♪
あなただけの筆文字に出会えますように♪
ではでは、みなさんにお会いできるのを楽しみにしています♪
沖縄で開催している
3月4月のお試し遊書教室の感想はこちら♪
http://toshi616.ti-da.net/e2051365.html
http://toshi616.ti-da.net/e2089835.html
トシってどんな奴???
一体どんな人???って心配になった方は
こちらのブログからどうぞ♪ 笑
としのツイてる♪日記 ⇒ http://toshi616.ti-da.net/
僕の友人に 「遊書家のトシ」 がいます。
その彼が今回、東京で 出張!遊書教室を開催することになりました。
(パフーパフードンドン)^^;;
彼は今、ちむどんどん(どきどき)してると思います(笑)
エールを送りたいので、僕のブログを見てくれるみなさんへ
告知させてくださいね。
詳細はこちらから~ ↓
♪ワークショップ 遊書家トシの
遊び書き教室 in 東京 恵比寿♪
あなただけの言葉を、あなたの筆文字で描く♪
『 遊び書き教室 』
『遊書』って何???
遊書は、筆で自己表現をする方法です。
習字や書道を学校や教室などで習ったことがありませんか?
けど、遊書は、その習字や書道と明らかに違うところがあります。
それは 『お手本がない事』
お手本がないので、自分の字で表現してもらいます。
しかし、
「自分は字には自信がない。。。ましてや、筆で書くだなんて。。。」って、思うのではないでしょうか???
もちろん♪それでも大丈夫♪
遊書のポイントをおさえて、
それを踏まえて筆で字を描いてもらいます♪
すると、不思議とあなたの字が
生まれ変わっていきますよ♪
お楽しみに♪♪♪
日時 2008 6/21(土) 6/22(日)
両日とも ① 11時~2時 ② 3時~6時
☆お申し込みには、希望する日時を記入お願いします。
定員 各6人 合計24人
(21日②の時間は残り2人、22日はそれぞれ残り4人です)
(定員になり次第締め切らせて頂きます。ご了承ください)
料金 6000円 材料費込み・1ドリンク込み
美味しい備屋珈琲店のお飲み物も♪
そして、そして♪お申し込みの際、
花屋さんブログ♪
『 魂の目覚め うちなる自分からのメッセージを読んで♪』
と、書いていただければ
更に 6000円 ⇒ 5000円 での受講料金に致します♪
☆ お申し込みなさった方に振込先を連絡させていただきます。お振込み手数料はご負担をお願い致します。
☆ お申し込みはこちらから ⇒ http://form1.fc2.com/form/?id=306127
場所 備屋珈琲店 恵比寿店
http://www.binya-ebisu.tokyo.walkerplus.com/
持ち物 なし
(筆や練習紙、墨などはこちらで用意しています)
☆ 教室内容 ☆
1、『遊書』って何?
一体、遊書ってなんだろう。。。
お習字や書道と一番の違いは、『お手本がない事』
お手本がなくて、本当に書けるの?という質問が・・・
解答は ⇒ はい♪もちろん書けます♪
2、まずは筆ならし♪
久しぶりに筆を持ったり、
いや。。。筆を持った事がない・・・
それでも大丈夫♪
筆を持って、ウォーミングアップから開始です♪
3、さぁ~♪描こう♪
字を書くではなくて、『描く』
ここらへんで、『お手本がない』ことが
分かって頂けると思います♪
そして、必ずあなただけの書体が生まれますよ♪
4、よぉ~し♪ 作品を創る♪
テーマは ♪オキナワンチック♪
あなたが創る作品は、
いつも眺めていて欲しい大切なものだから、
沖縄の独特の紙、月桃紙(げっとうし)
に書いてもらって、
フレームには、
海からプレゼント♪綺麗な貝や白い珊瑚の石を
好きなように付けて飾ってもらいます。
ちょっと疲れたときに、一息入れたいときに、
沖縄の綺麗な海を思い出してもらえたらと。。。
こんな感じに♪ ↓ ↓ ↓

それには、
あなたの好きな言葉が
あなただけの書体で
あなただけの
オリジナル遊書作品が
出来上がります♪
自分の字を好きな人って少ないと思うんです。
筆で書くなんて尚更。とか・・・
けど、その字をもう一度見つめてほしいんですね。
その字は、あなた本人にしか書けない文字なんです。
分かってはいるんだけど。。。
ずっとこの字で書いてきたからなぁ~
この癖字はなかなか直らないし・・・
・・・と言う声が聞こえてきそうです。
けど、その字を、好きになる可能性があるのが『遊書』です♪
5つのポイントを押さえてもらい、筆で書くと
一味、二味加わった味のある書体が完成します♪
そんなあなただけの書体で、
あなたが好きな言葉を表現してみる。
そして、その作品をいつも眺めてみるんです。
最初は、気恥ずかしかったりしますが、
どんどん愛着が湧いて元気をもらう事が出来ます。
なぜか?
それは、あなただけにしか書けない字で
あなたが好きな言葉を表現したから♪
そこから、
『自分の字ってなかなかイイじゃん♪』って思えるようになって頂けたら、
トシはとっても嬉しいです♪
あなただけの筆文字に出会えますように♪
ではでは、みなさんにお会いできるのを楽しみにしています♪
沖縄で開催している
3月4月のお試し遊書教室の感想はこちら♪
http://toshi616.ti-da.net/e2051365.html
http://toshi616.ti-da.net/e2089835.html
トシってどんな奴???
一体どんな人???って心配になった方は
こちらのブログからどうぞ♪ 笑
としのツイてる♪日記 ⇒ http://toshi616.ti-da.net/
タグ :遊書
すこしわかったけどどーしたらいいのかわからなーい。
2008年06月05日
菩薩が合掌している姿は、内在する神から悟りを得る姿勢。
(菩薩とていまだ未熟であり、学びを乞い願う姿勢であり、謙虚さが表れた形)
一般には如来は悟りを得た者と言われますが、悟りを得た者の姿勢を知ってますか?
悟りを得た仏は手を広げるんです。
天との繋がり(縦)から悟りを得て、得た悟りを他者(横)に広げる。
縦から受けて横に広げる、とは曼荼羅のことですね。
合掌し閉じていた手をいよいよ開く。
開き始めた手の間に宇宙(コスモ)が見えました。
手を開こうとする仏達は、手の中の宇宙(真理)を完成させたのでしょうか。
「悟りを開く」
「曼荼羅を開く」
世の中にたくさんの菩薩や如来が存在するのは、
それぞれ伝えたい真理が異なるから。
(異なる=個性となる。)
神は一つであるが、
八百万の方々の数だけ、八百万の思いがある。のかも知れない。
一つのことを書こうとしても、たくさんの連なりが、えんえんとつづく。
記事を途中で投げ出して逃げてきました(汗)
求めたら求めた以上のことが出てくるので、ストッピングゥゥ~です。
これをどう対処していけばいいのか、分からないのでもう少し、待って下さいね。
PCも今のスペックでは追いついていけまてん。
なのでyou tubeでラジパンダリ!見てきまーす(笑)
フンダリ、ケッタリ、ラジパンダリ!www
(菩薩とていまだ未熟であり、学びを乞い願う姿勢であり、謙虚さが表れた形)
一般には如来は悟りを得た者と言われますが、悟りを得た者の姿勢を知ってますか?
悟りを得た仏は手を広げるんです。
天との繋がり(縦)から悟りを得て、得た悟りを他者(横)に広げる。
縦から受けて横に広げる、とは曼荼羅のことですね。
合掌し閉じていた手をいよいよ開く。
開き始めた手の間に宇宙(コスモ)が見えました。
手を開こうとする仏達は、手の中の宇宙(真理)を完成させたのでしょうか。
「悟りを開く」
「曼荼羅を開く」
世の中にたくさんの菩薩や如来が存在するのは、
それぞれ伝えたい真理が異なるから。
(異なる=個性となる。)
神は一つであるが、
八百万の方々の数だけ、八百万の思いがある。のかも知れない。
一つのことを書こうとしても、たくさんの連なりが、えんえんとつづく。
記事を途中で投げ出して逃げてきました(汗)
求めたら求めた以上のことが出てくるので、ストッピングゥゥ~です。
これをどう対処していけばいいのか、分からないのでもう少し、待って下さいね。
PCも今のスペックでは追いついていけまてん。
なのでyou tubeでラジパンダリ!見てきまーす(笑)
フンダリ、ケッタリ、ラジパンダリ!www
身を委ねたら何かが変わった
2008年05月29日 / 気付き
穏やかに時が過ぎていきます。
今まで生きてきた中で、これほどゆったりと過ごせた事が一度もなくて…
(このまったり感はなんだろう~!?)ってずっと不思議に思ってました。
めまぐるしい喧騒から自分だけが抜け出したようなこの感覚。
こんな時間の使い方もあったんですね~。
いつも何かに追われるように生きてきたので、
ゆっくりと流れるこの感覚に戸惑ってました。
時間って永遠に『等しく時を刻む』と思ってたけど
その時間の使い方や過ごし方は自分が決めるんですね~。
(僕の時間は僕が生きている間だけ)
今は時間にとらわれず生活できるようになりました。
出来事にも執着することが少なくなり、
悩みを悩むことが出来なくなりました。
ブログをストップしている間、
いちいちそれを確かめながら生活してましたよ。
ぶっちゃけ!今がサイコーに幸せですwww
ただひとつのことを除いてはですが…。
以前の記事でも書いたけど、
ある事情で自分が納得した上で“天に身を委ねました”
今はもう、その内容も思い出すことは出来ないけど、
色んな不安やしがらみを手放しました。
これは順序であって、然るべき時がきたからそうしたまでで、
もうそうするしかなかった。
仕向けられた状態に近いけど何も特別な事じゃないと思う(笑)
でも、自分ですべてを手放したくせして『もう自分には何も残ってないんだ』
って、ぽっかり心に隙間が出来たように感じて勝手に落ち込んでもいました(笑)
悩みや執着を手放した事で出来た心の空白。
じつはそれが《心のゆとり》だとはこの時まだ知りません。
だけど、落ち着いてどっしりと構えている自分を不思議に思ってました。
心の空虚感の事を友人の静香さんに相談したら、
『他の事(他の人)を考える余裕が出来たんじゃないの?』
と言われて…そこで気付きました。
執着をやめ問題を手放した事で、心(魂)の器を広く使えるようになったんです!
今まで自分が頭を悩ませていた事は、実はたいした事じゃなかった。
僕は何に悩んでいたのかさえ今は分からない。
問題を深刻に考えていたのは他でもない《自分自身》
自分が自分の首を絞めている!?なんで???続く…(笑)
○いつかすべてを許せれば…
僕が今の意識になったのは、3月のある休日前夜までさかのぼります。
久しぶりに那覇で友人達と飲もうと思って、名護から車を走らせていました。
この時点までの僕の意識は、
人は(見守られながら)自分の力で(自立して)生きている。と、
認識してたので『僕がやることはすべて僕が責任をとります』と、
高速道を走らせながら、心に言い続け強がってました。
僕は大変な事を口走ってしまいました。
後で気付いた事だけど、これは大きな間違いでした。
人はすべての責任や過ちに、完全には責任をとる事は出来ないハズなんです。
すべての責任がとれるという思いこそ、人の思い上がりでありエゴ。
もちろん、
責任をとる態度は素晴らしい行いですが、
もし、人がすべての責任をとれるなら『神の許し』など必要ないことになります。
今までもこれからも人は許されているんです。
『僕がやることはすべて僕が責任をとる』
運転しながらそう唱え続けた理由は、
本当は飲みに行けるほどの金銭の余裕はないのに、
飲みに行く事を自分の中で正当化したかったから(笑)
結果、起きるべくして出来事が起きる。
“人は許されて生きているにもかかわらず、すぐに思い上がる”
僕が心で決意した責任の言葉はしっかりと聞かれていて
思い上がった僕に(すぐに)ツケが返ってきた。
大きく転ばされて、心が死んだようになってやっとわかった。
「無理を通すのは運命に逆らう事だったんだ…。」
「天はこんなにも厳しいのか…、分かったよ…
もうすべて任せるから…、どうか、どうか良い方向に導いて下さい。」
神は時として(これでもか!)というほどの力技を使ってくる。
というか僕が昔、悪の花屋だったころ(笑)
何度も何度も力技を使われては倒されてたっけ…。
感動し身震いするような奇跡を起こすのもまた事実です。
(これでもか!)は昔、真っ白な世界で言われた事がある(笑)
僕は神がここまでやってくる事を忘れていた。
“人はすぐに忘れる。与えられている恵みも感謝の心も…”
僕は徹底的に叩きのめされて、生きる気力もなくしました。
自分の力のみで生きているのではなく、
許され生かされているんだ!と理解した時、
すべてを天に委ねようと僕は考えました。
流れに逆らうから生きるのが辛くなる。
出来事に固執する執着するから苦しくなる。
だったらそれをやめればいい。
出来事が起こる仕組みも
その人にとって必要な問題しか起こらない。
素直に受け入れるべきものを受け入れ、または手放す。
問題を解決せずに先送りしても、
同じような問題がまた出て来ますよね。
いきなりですが、
《覚醒》する人は《覚醒》してくださいね。
だけど…、やっぱりすべては繋がっています。
この出来事があったおかげで、
人は少なからずの過ちを許されていると知りました。
貴方の中で許せない人がいるかも知れません。
でも、許せない許したくない事もあなたの執着です。
前に進むため(絶えず進化するため)に生まれているのに、
その思いの鎖に囚われてしまっては、まさに読んで字のごとく
生きた自縛霊になってしまいます。
※自分の思いに執着している人がいわゆるジコチューで、人(他人)を省みない。
出来事を通して気付きを得て、
問題を消化し手放すために生まれた。
と考えることができれば、この世も少しは生きやすくなるのかな。
頭では許したいのに心がそれを許さない事もあります。
○自分(心)+縛る=自縛霊
知ってますか!?
心はだまされやすく勘違いしやすいものだと。
上にも自分が自分の首を絞めると書いたけど、良く分かりませんよね。
《心が傷付く》とよく聞きますが本当は心は傷なんて付かない。
永遠の存在の心(魂)が傷付くのおかしくないか?
そんな疑問がありました。
例えば、
(私はこんな酷いことを言われた、許せない)
(こんな酷いことをされたから自分が可哀相)
これで身体を持たない状態が自縛霊。
自分(思い)が心を追いつめている事を知って下さい。。
悲しく辛い思い出×100を思い出してはふさぎ込んで縮こまる…。
なぜ、自分で心を傷つけるのかは分かりませんが、
相手から言われた(又はされた)ことを、リフレインしている自分に気付いて下さい。
自分が自分に悪い暗示をかけているんです。
心とは魂です。心が傷付くなら魂は永遠の存在ではないでしょう。
相手は貴方が気付くように言葉を選び、発している場合、←訂正:(×気付くように ○傷付くように)
そこで貴方が傷付けばそれこそ相手の思うツボ。
相手の土俵に乗ったことになってしまいます。
要は考え方ひとつ。
明日から「死ね」と言われたびに1億円貰えるとしたら、
その言葉に期待してワクワクしますよね(笑)
良い方向に自分をだませばいいんですよ。
人が心を難しくとらえているだけ。心は単純でシンプルなもの。
でも心と体は繋がっている事だけは忘れないで下さい。
映画マトリックスでもありますが、
心は(傷付いた)と勘違いしてしまうとそれを心が現実にする。
身体に影響を及ぼしてしまうので注意です。
笑い療法は逆のパターンに近いかも知れませんね。
心は縛るものじゃない。
心を解き放て!(あっ、またマトリックスだ。笑)
○守護霊からの卒業
ブログ仲間のNさんの記事にありました。
Zさんからは直接聞きました。
『守護霊から卒業する』
接点のない(?)二人から同じような事を聞いたので、
これはシンクロかも知れないと思いはじめました。
守護霊は守りもするが試練も与える。
試練を終えた人のみ、守護霊を卒業させることができる。と。
※試練を終えてない人や、
楽をしようとする人の守護霊は卒業しないそうです。
Nさんは13人いるそうです。
僕は名護の渡具知綾子さんに言わせると7人いると言われました。
僕は思いました。
もし、過去の心の闇のような試練がまたやってくるとしたら…?
考えただけで怖くて恐ろしくて、あんなことを2度も繰り返せる勇気はありません。
試練というより地獄だったので(笑)
身震いするほどの恐怖に瞬時に
(守護霊を卒業させたい!)と思いました。
そして、僕がとった行為は、
花屋:『守護霊さま、もう試練はいりません。
あとは悟る学びにして下さい。今までありがとうございました。』
と4~5日間くらい唱えていました。
そのおかげかどうか分かりませんが、感覚が少しづつ変化していきました。
ここまでは前の記事に書いた通り。
○ブログが書けない自分?
ここまで書いてきた出来事がほとんど同時期に起きたので、
何が原因かは分かりませんが
なぜか、執着や悩みまで手放すことが出来ました。
そして最近、身体の異常も和らいで、
ぐっすり眠れるようになっている自分がいます。
(実際は身を委ねただけですが。笑)
んがっ!
予想してなかった緊急事態が起こりました!
精神世界や霊的世界の事を書く《意欲》までなくなったんです(笑)
これには思いっきり焦りました。
今までの経験から、
書きたい事はあるのに、記事を書かない状態のままいると、
禁煙しているようなイライラが始まり、ムカついてきます。
それでも書かずにいると頭が爆発する(笑)
言葉や思いは無限ループのようです。
蜘蛛の巣のように色んな所へと繋がってるので、
指に任せてガーって書いてしまうと、
僕が書きたい思いとは裏腹に、話がずれたり違う方向へ進み
結局自分でも何が言いたかったのか?分からなくなる(笑)
そして時には目が血走り、感情むき出しのまま書く事もあります。
怒りや苦しみに涙を浮かべ、感情移入しているので念がこもります。
だから敏感な人には刺激が強くて申し訳ないです(汗)
最近は僕が主導権を握り、もう一人の自分に聞きながら穏やかに書いてるけど
今まで何度も言ってましたが、僕はブログを書くことも役割だと思ってます。
誰かに急かされるように書かされていたのが急に開放された。
僕は一生、ブログを書くつもりでいたのに。。。
これがどれほどの恐怖かわかりますか?
僕は仕事しながら路頭に迷ってたんですよ(笑)アホです。
「あぁ~僕はもう、お役御免なんだ…。」(違うって!)
過去の記事を見てはため息し、
「これ俺が書いた記事とは思えない…。」(そうだね~笑)
「もう、俺はこんな文を書けないのか…」(今、書いてるけど?笑)
放り出されたように感じたのも大きな勘違いでした。
多分だけど、今の自分が抱えていた問題をブログを書くことで解消していた。
問題が無いから急かされない。それを書けないと錯覚した…?
夢の家の宝さんにも以前に言われました。
「ブログを書くことで浄化してる」と。
書けない話を書こうとしてたのに、書けることに気付いた僕(笑)
《ただひとつのことを除いて》とはこの事だったんだけど…。
アホでしたwww
心が勝手に決め付けていただけ。
そして僕が書きたいと思う心の話は、もうだいたいは書いてきたので、
だんだん書く事が少なくなってきたかも知れません(悲)
幽霊の体験談ならまだ書いていないものもあります。
それもとっておきの怖いヤツですwww
書くことがなくなったら書きますね。
○人は『今』『ここ』にしか生きられない事が分かれば…
今まで悩んでたことって“悩むほどのことではなかった”んです。
正直、僕は何に対して悩んでいたのか、思い出せないほど。
生きている幸せ
家がある幸せ
仕事がある幸せ
家族がある幸せ
他にもっともっとあるでしょう。
僕はこんなにも恵まれて幸せだったんですね。
今の僕は「今を生きて」いてそれを実感しています。
以前の僕は未来(将来)のことを不安に思ってましたが、
それは今を生きていない証拠でした。
未来は永遠に未来でしかありえません。、
僕達は死ぬまで永遠に『今』しか生きられない。
(カレンダーや時計のことを言ってるわけじゃなくて)
貴方は地を固めるように、足踏みしていればあとは地球のほうがまわってくれます。
人が成長し進化するのも未来ではなく今。
過去にも未来にも生きることが出来ないと知れば、
未来に不安を覚えることもなく、将来を悩むこともないんです。
問1
明日、会社が倒産したら?
答え
なるようになるし、なるようにしかならない。
目には見えなくても、
《すべての答えがそこにはある》んです。
起こってない事に不安になるより、『今』ある幸せを楽しんで下さい。
何かに執着しているから不安や恐怖を感じます。
よく「恐れずに前に進みなさい」と言いますが
問題を解決出来ていない時点では、恐れから開放されないので、
この場合は「執着せずに前に進みなさい」が正しいと思います。
ここがポイントかも知れません。
本当に今を楽しむ心を持ち始めたら、
どんな出来事が起こっても『必ずなんとかなる!』んです。
貴方が生きて生をまっとうしている事実が、
なんとかなってきた「証」です。
未来(明日)のことを心配しているといつか疲れます。
人が心配してる限り、永遠に心配ごとは尽きません。悩みも同じ。
僕だって今どこを(どの道を)歩いているのか分かりません。
知らないから楽しくてワクワク出来ると思います。
心配サンティン、ナンクルナイサ!
今まで生きてきた中で、これほどゆったりと過ごせた事が一度もなくて…
(このまったり感はなんだろう~!?)ってずっと不思議に思ってました。
めまぐるしい喧騒から自分だけが抜け出したようなこの感覚。
こんな時間の使い方もあったんですね~。
いつも何かに追われるように生きてきたので、
ゆっくりと流れるこの感覚に戸惑ってました。
時間って永遠に『等しく時を刻む』と思ってたけど
その時間の使い方や過ごし方は自分が決めるんですね~。
(僕の時間は僕が生きている間だけ)
今は時間にとらわれず生活できるようになりました。
出来事にも執着することが少なくなり、
悩みを悩むことが出来なくなりました。
ブログをストップしている間、
いちいちそれを確かめながら生活してましたよ。
ぶっちゃけ!今がサイコーに幸せですwww
ただひとつのことを除いてはですが…。
以前の記事でも書いたけど、
ある事情で自分が納得した上で“天に身を委ねました”
今はもう、その内容も思い出すことは出来ないけど、
色んな不安やしがらみを手放しました。
これは順序であって、然るべき時がきたからそうしたまでで、
もうそうするしかなかった。
仕向けられた状態に近いけど何も特別な事じゃないと思う(笑)
でも、自分ですべてを手放したくせして『もう自分には何も残ってないんだ』
って、ぽっかり心に隙間が出来たように感じて勝手に落ち込んでもいました(笑)
悩みや執着を手放した事で出来た心の空白。
じつはそれが《心のゆとり》だとはこの時まだ知りません。
だけど、落ち着いてどっしりと構えている自分を不思議に思ってました。
心の空虚感の事を友人の静香さんに相談したら、
『他の事(他の人)を考える余裕が出来たんじゃないの?』
と言われて…そこで気付きました。
執着をやめ問題を手放した事で、心(魂)の器を広く使えるようになったんです!
今まで自分が頭を悩ませていた事は、実はたいした事じゃなかった。
僕は何に悩んでいたのかさえ今は分からない。
問題を深刻に考えていたのは他でもない《自分自身》
自分が自分の首を絞めている!?なんで???続く…(笑)
○いつかすべてを許せれば…
僕が今の意識になったのは、3月のある休日前夜までさかのぼります。
久しぶりに那覇で友人達と飲もうと思って、名護から車を走らせていました。
この時点までの僕の意識は、
人は(見守られながら)自分の力で(自立して)生きている。と、
認識してたので『僕がやることはすべて僕が責任をとります』と、
高速道を走らせながら、心に言い続け強がってました。
僕は大変な事を口走ってしまいました。
後で気付いた事だけど、これは大きな間違いでした。
人はすべての責任や過ちに、完全には責任をとる事は出来ないハズなんです。
すべての責任がとれるという思いこそ、人の思い上がりでありエゴ。
もちろん、
責任をとる態度は素晴らしい行いですが、
もし、人がすべての責任をとれるなら『神の許し』など必要ないことになります。
今までもこれからも人は許されているんです。
『僕がやることはすべて僕が責任をとる』
運転しながらそう唱え続けた理由は、
本当は飲みに行けるほどの金銭の余裕はないのに、
飲みに行く事を自分の中で正当化したかったから(笑)
結果、起きるべくして出来事が起きる。
“人は許されて生きているにもかかわらず、すぐに思い上がる”
僕が心で決意した責任の言葉はしっかりと聞かれていて
思い上がった僕に(すぐに)ツケが返ってきた。
大きく転ばされて、心が死んだようになってやっとわかった。
「無理を通すのは運命に逆らう事だったんだ…。」
「天はこんなにも厳しいのか…、分かったよ…
もうすべて任せるから…、どうか、どうか良い方向に導いて下さい。」
神は時として(これでもか!)というほどの力技を使ってくる。
というか僕が昔、悪の花屋だったころ(笑)
何度も何度も力技を使われては倒されてたっけ…。
感動し身震いするような奇跡を起こすのもまた事実です。
(これでもか!)は昔、真っ白な世界で言われた事がある(笑)
僕は神がここまでやってくる事を忘れていた。
“人はすぐに忘れる。与えられている恵みも感謝の心も…”
僕は徹底的に叩きのめされて、生きる気力もなくしました。
自分の力のみで生きているのではなく、
許され生かされているんだ!と理解した時、
すべてを天に委ねようと僕は考えました。
流れに逆らうから生きるのが辛くなる。
出来事に固執する執着するから苦しくなる。
だったらそれをやめればいい。
出来事が起こる仕組みも
その人にとって必要な問題しか起こらない。
素直に受け入れるべきものを受け入れ、または手放す。
問題を解決せずに先送りしても、
同じような問題がまた出て来ますよね。
いきなりですが、
《覚醒》する人は《覚醒》してくださいね。
だけど…、やっぱりすべては繋がっています。
この出来事があったおかげで、
人は少なからずの過ちを許されていると知りました。
貴方の中で許せない人がいるかも知れません。
でも、許せない許したくない事もあなたの執着です。
前に進むため(絶えず進化するため)に生まれているのに、
その思いの鎖に囚われてしまっては、まさに読んで字のごとく
生きた自縛霊になってしまいます。
※自分の思いに執着している人がいわゆるジコチューで、人(他人)を省みない。
出来事を通して気付きを得て、
問題を消化し手放すために生まれた。
と考えることができれば、この世も少しは生きやすくなるのかな。
頭では許したいのに心がそれを許さない事もあります。
○自分(心)+縛る=自縛霊
知ってますか!?
心はだまされやすく勘違いしやすいものだと。
上にも自分が自分の首を絞めると書いたけど、良く分かりませんよね。
《心が傷付く》とよく聞きますが本当は心は傷なんて付かない。
永遠の存在の心(魂)が傷付くのおかしくないか?
そんな疑問がありました。
例えば、
(私はこんな酷いことを言われた、許せない)
(こんな酷いことをされたから自分が可哀相)
これで身体を持たない状態が自縛霊。
自分(思い)が心を追いつめている事を知って下さい。。
悲しく辛い思い出×100を思い出してはふさぎ込んで縮こまる…。
なぜ、自分で心を傷つけるのかは分かりませんが、
相手から言われた(又はされた)ことを、リフレインしている自分に気付いて下さい。
自分が自分に悪い暗示をかけているんです。
心とは魂です。心が傷付くなら魂は永遠の存在ではないでしょう。
相手は貴方が気付くように言葉を選び、発している場合、←訂正:(×気付くように ○傷付くように)
そこで貴方が傷付けばそれこそ相手の思うツボ。
相手の土俵に乗ったことになってしまいます。
要は考え方ひとつ。
明日から「死ね」と言われたびに1億円貰えるとしたら、
その言葉に期待してワクワクしますよね(笑)
良い方向に自分をだませばいいんですよ。
人が心を難しくとらえているだけ。心は単純でシンプルなもの。
でも心と体は繋がっている事だけは忘れないで下さい。
映画マトリックスでもありますが、
心は(傷付いた)と勘違いしてしまうとそれを心が現実にする。
身体に影響を及ぼしてしまうので注意です。
笑い療法は逆のパターンに近いかも知れませんね。
心は縛るものじゃない。
心を解き放て!(あっ、またマトリックスだ。笑)
○守護霊からの卒業
ブログ仲間のNさんの記事にありました。
Zさんからは直接聞きました。
『守護霊から卒業する』
接点のない(?)二人から同じような事を聞いたので、
これはシンクロかも知れないと思いはじめました。
守護霊は守りもするが試練も与える。
試練を終えた人のみ、守護霊を卒業させることができる。と。
※試練を終えてない人や、
楽をしようとする人の守護霊は卒業しないそうです。
Nさんは13人いるそうです。
僕は名護の渡具知綾子さんに言わせると7人いると言われました。
僕は思いました。
もし、過去の心の闇のような試練がまたやってくるとしたら…?
考えただけで怖くて恐ろしくて、あんなことを2度も繰り返せる勇気はありません。
試練というより地獄だったので(笑)
身震いするほどの恐怖に瞬時に
(守護霊を卒業させたい!)と思いました。
そして、僕がとった行為は、
花屋:『守護霊さま、もう試練はいりません。
あとは悟る学びにして下さい。今までありがとうございました。』
と4~5日間くらい唱えていました。
そのおかげかどうか分かりませんが、感覚が少しづつ変化していきました。
ここまでは前の記事に書いた通り。
○ブログが書けない自分?
ここまで書いてきた出来事がほとんど同時期に起きたので、
何が原因かは分かりませんが
なぜか、執着や悩みまで手放すことが出来ました。
そして最近、身体の異常も和らいで、
ぐっすり眠れるようになっている自分がいます。
(実際は身を委ねただけですが。笑)
んがっ!
予想してなかった緊急事態が起こりました!
精神世界や霊的世界の事を書く《意欲》までなくなったんです(笑)
これには思いっきり焦りました。
今までの経験から、
書きたい事はあるのに、記事を書かない状態のままいると、
禁煙しているようなイライラが始まり、ムカついてきます。
それでも書かずにいると頭が爆発する(笑)
言葉や思いは無限ループのようです。
蜘蛛の巣のように色んな所へと繋がってるので、
指に任せてガーって書いてしまうと、
僕が書きたい思いとは裏腹に、話がずれたり違う方向へ進み
結局自分でも何が言いたかったのか?分からなくなる(笑)
そして時には目が血走り、感情むき出しのまま書く事もあります。
怒りや苦しみに涙を浮かべ、感情移入しているので念がこもります。
だから敏感な人には刺激が強くて申し訳ないです(汗)
最近は僕が主導権を握り、もう一人の自分に聞きながら穏やかに書いてるけど
今まで何度も言ってましたが、僕はブログを書くことも役割だと思ってます。
誰かに急かされるように書かされていたのが急に開放された。
僕は一生、ブログを書くつもりでいたのに。。。
これがどれほどの恐怖かわかりますか?
僕は仕事しながら路頭に迷ってたんですよ(笑)アホです。
「あぁ~僕はもう、お役御免なんだ…。」(違うって!)
過去の記事を見てはため息し、
「これ俺が書いた記事とは思えない…。」(そうだね~笑)
「もう、俺はこんな文を書けないのか…」(今、書いてるけど?笑)
放り出されたように感じたのも大きな勘違いでした。
多分だけど、今の自分が抱えていた問題をブログを書くことで解消していた。
問題が無いから急かされない。それを書けないと錯覚した…?
夢の家の宝さんにも以前に言われました。
「ブログを書くことで浄化してる」と。
書けない話を書こうとしてたのに、書けることに気付いた僕(笑)
《ただひとつのことを除いて》とはこの事だったんだけど…。
アホでしたwww
心が勝手に決め付けていただけ。
そして僕が書きたいと思う心の話は、もうだいたいは書いてきたので、
だんだん書く事が少なくなってきたかも知れません(悲)
幽霊の体験談ならまだ書いていないものもあります。
それもとっておきの怖いヤツですwww
書くことがなくなったら書きますね。
○人は『今』『ここ』にしか生きられない事が分かれば…
今まで悩んでたことって“悩むほどのことではなかった”んです。
正直、僕は何に対して悩んでいたのか、思い出せないほど。
生きている幸せ
家がある幸せ
仕事がある幸せ
家族がある幸せ
他にもっともっとあるでしょう。
僕はこんなにも恵まれて幸せだったんですね。
今の僕は「今を生きて」いてそれを実感しています。
以前の僕は未来(将来)のことを不安に思ってましたが、
それは今を生きていない証拠でした。
未来は永遠に未来でしかありえません。、
僕達は死ぬまで永遠に『今』しか生きられない。
(カレンダーや時計のことを言ってるわけじゃなくて)
貴方は地を固めるように、足踏みしていればあとは地球のほうがまわってくれます。
人が成長し進化するのも未来ではなく今。
過去にも未来にも生きることが出来ないと知れば、
未来に不安を覚えることもなく、将来を悩むこともないんです。
問1
明日、会社が倒産したら?
答え
なるようになるし、なるようにしかならない。
目には見えなくても、
《すべての答えがそこにはある》んです。
起こってない事に不安になるより、『今』ある幸せを楽しんで下さい。
何かに執着しているから不安や恐怖を感じます。
よく「恐れずに前に進みなさい」と言いますが
問題を解決出来ていない時点では、恐れから開放されないので、
この場合は「執着せずに前に進みなさい」が正しいと思います。
ここがポイントかも知れません。
本当に今を楽しむ心を持ち始めたら、
どんな出来事が起こっても『必ずなんとかなる!』んです。
貴方が生きて生をまっとうしている事実が、
なんとかなってきた「証」です。
未来(明日)のことを心配しているといつか疲れます。
人が心配してる限り、永遠に心配ごとは尽きません。悩みも同じ。
僕だって今どこを(どの道を)歩いているのか分かりません。
知らないから楽しくてワクワク出来ると思います。
心配サンティン、ナンクルナイサ!
曼荼羅に水の心得を見る
2008年05月14日 / 気付き
『自分の曼荼羅を広げなさい』
あるいは作りなさい・確立しなさい。かな?
はっきりしないけど、ふいにこの想いがやってきます。
その度に曼荼羅をネットで見てたけど良く分からない。
でも僕の曼荼羅の解釈は、
「自分(それぞれ)の世界を広げる、作る」という事。
役者(人)として演舞台(地球)に立って、それぞれの曼荼羅を広げる。
そもそも舞いや歌は神への感謝・奉納だと言われています。
生き方や一生を神に奉納しているとすれば、ムダに出来る時間はないですよね。
曼荼羅と聞いて固定観念を想い浮かべるのではなくて、
一人一人に合った、オリジナルな表現でいいと思います。
外から拾った情報を含め僕が曼荼羅を見て想うもの。
神の構図(立場等)、
ネットワーク(繋がりとか広がり)、
蜘蛛の巣、
完成された美、等…
円、
菩薩や如来の姿勢、特に繋がりの素晴らしさを感じます。
教える者、それを受け取り広める者。
早く僕も、
「これぞ自分であり、自分そのもの」
と言えるものを表現できれば と思います。
曼荼羅を見ていて思ったことは、
中心から外側への波紋のような広がりでした。
波紋とは波(水)の伝達…。
なるほど!
僕のキーワードは水なんですが…
書いてみてちょっと分かりましたよ。
「水」の特質を理解することだったんです!
僕は今まで外に水の答えを探していました。
これって良く考えれば分かること。
“ヒントは外でも答えは内に存在する”って事を忘れてたんです。
本当は外(環境・社会・現実)も含め、すべてが内側なんです。
本当は自分という「枠」自体無いのです。
個として識別するため「貴方」とか「私」と言う名前を
付けただけに過ぎず、(物)も(者)も同じ。
生まれた時から接して見てきた世界や出来事は
「すべて」そして「常に」自分を観ていたんです。
初めから自分以外のものは見えていないんですね。
自分の体内を観ている感覚に近いのかな。
なぜ自分を観るのかと言えば、悪いところはどこだろう?です。
昔々に生きた人ほど、狭い世界に生きてますよね。
交通手段も発達してないので、
集落から出ずに一生を終える人もいたかも知れません。
でも生きる世界が狭いほど、他人の有難さが分かるので、
(自分)の事のように考えて、調和を図ったと思います。
今の時代、ネットやTVでたくさんの情報を知る事が出来るし、
どこへだって行けます。
行ったことのない土地の問題を知る事も出来ます。
直に接する問題ではないけど、
人が目にするものも少なからず(自分)が関わっていると思います。
手の届かないところの問題まで考える余裕があるのも、
あるいは解決出来るようになったのも、
魂が昔より遥かに成長して、受け止められる器が大きくなった。
そういう風に思えてきました。
思いっきり話がズレてしまったけど水の話。
まず、「与えられたモノが」なければ「与えること」は出来ません。
水は自分から動くことは出来ません。
出来事となる「雫」が必要です。
上から落ちてきた一滴のしずく。
それを水の者が受信して波紋として伝える。
ルナさんのブログで気付きましたが
神の教えが縦軸で、伝える事が横軸なんだと思いました。
教えられた(物)を伝える(者)
○最近の夢
自分が落ち着いてきたのは良いことだけど、
見る夢に変化が出てきました。
僕が刑事(?)になって犯人を捕まえる夢(×2)や、
もう一つは僕が探偵になって、正体や証拠を暴いていくというもの。
刑事の夢の内容は、奪われた物を取り返しに行くことです。
奪われた物とは僕が僕であるという「証」あかしです。
宇宙警備隊のようなカッコイイカード(顔写真付き)笑
悪の組織に奪われたカードを追って、
フェリーに乗り込んだら、フェリー全体がアジトだった。w
下の階へ進みながらバッタバッタと敵を倒していく。
僕の気分はブルース・リーでした。
警備隊のツナギを着てたので(笑)
最後の扉のところまで戦ってたけど、そこで目が覚めてしまった(涙)
結局、「証」は取り返せず…。
そして今日の居眠り中に見た夢は…、
僕が丸いキノコのような建物の中にいて、
足を机に投げ出してそこでも居眠りをしていた(爆)
外にはこれまた同じような小さな建物の中に、
僕の直属の上司と、さらに上の上司が僕をどこに配置するか決めかねていた。
でも…
僕には直属の上司もその上の上司もいませんが…。
二人とも知らない人だったけど、
僕はどこに飛ばされるのかな?(笑)
あるいは作りなさい・確立しなさい。かな?
はっきりしないけど、ふいにこの想いがやってきます。
その度に曼荼羅をネットで見てたけど良く分からない。
でも僕の曼荼羅の解釈は、
「自分(それぞれ)の世界を広げる、作る」という事。
役者(人)として演舞台(地球)に立って、それぞれの曼荼羅を広げる。
そもそも舞いや歌は神への感謝・奉納だと言われています。
生き方や一生を神に奉納しているとすれば、ムダに出来る時間はないですよね。
曼荼羅と聞いて固定観念を想い浮かべるのではなくて、
一人一人に合った、オリジナルな表現でいいと思います。
外から拾った情報を含め僕が曼荼羅を見て想うもの。
神の構図(立場等)、
ネットワーク(繋がりとか広がり)、
蜘蛛の巣、
完成された美、等…
円、
菩薩や如来の姿勢、特に繋がりの素晴らしさを感じます。
教える者、それを受け取り広める者。
早く僕も、
「これぞ自分であり、自分そのもの」
と言えるものを表現できれば と思います。
曼荼羅を見ていて思ったことは、
中心から外側への波紋のような広がりでした。
波紋とは波(水)の伝達…。
なるほど!
僕のキーワードは水なんですが…
書いてみてちょっと分かりましたよ。
「水」の特質を理解することだったんです!
僕は今まで外に水の答えを探していました。
これって良く考えれば分かること。
“ヒントは外でも答えは内に存在する”って事を忘れてたんです。
本当は外(環境・社会・現実)も含め、すべてが内側なんです。
本当は自分という「枠」自体無いのです。
個として識別するため「貴方」とか「私」と言う名前を
付けただけに過ぎず、(物)も(者)も同じ。
生まれた時から接して見てきた世界や出来事は
「すべて」そして「常に」自分を観ていたんです。
初めから自分以外のものは見えていないんですね。
自分の体内を観ている感覚に近いのかな。
なぜ自分を観るのかと言えば、悪いところはどこだろう?です。
昔々に生きた人ほど、狭い世界に生きてますよね。
交通手段も発達してないので、
集落から出ずに一生を終える人もいたかも知れません。
でも生きる世界が狭いほど、他人の有難さが分かるので、
(自分)の事のように考えて、調和を図ったと思います。
今の時代、ネットやTVでたくさんの情報を知る事が出来るし、
どこへだって行けます。
行ったことのない土地の問題を知る事も出来ます。
直に接する問題ではないけど、
人が目にするものも少なからず(自分)が関わっていると思います。
手の届かないところの問題まで考える余裕があるのも、
あるいは解決出来るようになったのも、
魂が昔より遥かに成長して、受け止められる器が大きくなった。
そういう風に思えてきました。
思いっきり話がズレてしまったけど水の話。
まず、「与えられたモノが」なければ「与えること」は出来ません。
水は自分から動くことは出来ません。
出来事となる「雫」が必要です。
上から落ちてきた一滴のしずく。
それを水の者が受信して波紋として伝える。
ルナさんのブログで気付きましたが
神の教えが縦軸で、伝える事が横軸なんだと思いました。
教えられた(物)を伝える(者)
○最近の夢
自分が落ち着いてきたのは良いことだけど、
見る夢に変化が出てきました。
僕が刑事(?)になって犯人を捕まえる夢(×2)や、
もう一つは僕が探偵になって、正体や証拠を暴いていくというもの。
刑事の夢の内容は、奪われた物を取り返しに行くことです。
奪われた物とは僕が僕であるという「証」あかしです。
宇宙警備隊のようなカッコイイカード(顔写真付き)笑
悪の組織に奪われたカードを追って、
フェリーに乗り込んだら、フェリー全体がアジトだった。w
下の階へ進みながらバッタバッタと敵を倒していく。
僕の気分はブルース・リーでした。
警備隊のツナギを着てたので(笑)
最後の扉のところまで戦ってたけど、そこで目が覚めてしまった(涙)
結局、「証」は取り返せず…。
そして今日の居眠り中に見た夢は…、
僕が丸いキノコのような建物の中にいて、
足を机に投げ出してそこでも居眠りをしていた(爆)
外にはこれまた同じような小さな建物の中に、
僕の直属の上司と、さらに上の上司が僕をどこに配置するか決めかねていた。
でも…
僕には直属の上司もその上の上司もいませんが…。
二人とも知らない人だったけど、
僕はどこに飛ばされるのかな?(笑)
後ろの百太郎クン
2008年05月07日 / 気付き
僕は今自分の行動を監視しています (笑)
自身の生活態度、特に食生活に気を配っています。
少しずつウォーキングも始めています。
やらざるをえなくなったと言うか、
そうするように仕向けられたと言うか、まぁ、とにかく…
僕の意識のあり方が変わりつつあります。
ここまでこれた事やここにいる事にも感謝しています。
本当なら最短、最速で歩むことも出来るんだろうけどでも、
歩くのは僕なので常に遠回りで鈍足です。
道楽的な情報や、要りもしない情報に振り回された結果、
ムダな時間を費やしてしまった事も多々…。
だけど、それすらも人生の選択肢の範囲内。
予定通りに進んでいると、なぜか実感しています。
話しは変わりますが以前の僕は、
「人は自分の力(努力)で生きている」と考えてました。
それから考えが変わって、
「人は生かされて生きている」と、思うようになりました。
それは(人は自分の努力で生きている)なおかつ、
(天に見守られて生かされている、の両方である)と言う事。
これが最終的な答えだと思ってました。
そう思ってたけど、また答えが変化しました。
今は、「天に生かされている」と解釈していて
“神の手の上で転がされて生きている” と感じています。
~人差し指の頂点に向かって歩いていた僕~
神は掌を揺り動かして僕を転ばせる。
転んだことによって間違いに気付き、
次に中指を目指し歩いたけど、また途中で転ばされ…。
結局はどこにも辿り着けずに、
とうとう僕は内にこもる…。
気が付くと常に神の手の中心にいた。
それが答えだった。
目指すべき山は己の中、中心に存在した。
それが分かったのはこの数日間でした。
僕は内心、神に対しての不満や怒りを感じていた事があります。
神を恨んだり憎んだり…。ブログにも書いたけど酷いですね~(笑)
でもそうした事も含めて、
僕の道に用意された出来事だったように思います。
神の存在の意味を疑え!
なぜ出来事を起こすのか不思議に思え!
不満こそ、自分がまだそこまで至らないと考えろ!
憎しみも恨みも自己を深く問えば、
消化し切れていない、内面の問題だと気づく。
神や他人を憎むことは、
「私は心が未熟です」と公言するようなもの。
不満や恨みは、自分の問題を他に押し付けているに過ぎず、
結局はどんな出来事も、内側が外という鏡に反映された現象。
内面を進化させることですべての問題が解消する。
使命や役割も自分で決めた事だと理解し、
身近に起こる問題も、内側から発せられるものだと気付いたら、
神を憎んだり恨んだりすることはもうないだろう。
知識として頭では理解していても、
それが本当の理解に至っているかは分からない。
理解度は人それぞれ違うけど、人は深く理解すると、
頭よりも先に身体が反応を起こす。と僕は思う。
色んな感情を十分に味わい、外の問題が内側とリンクしていると気付いたら、
(そこまで理解したのなら身を委ねなさい)
と言う感じがしたので素直にそうしました。
それに従う事は自然な、“流れ”でした。
ここで言ってる“委ねる”とは、
単純に自分の感覚に頼るのとはちょっと違います。
『どんな事が起こっても動じず、
受け入れるべき事柄を受け入れる』と言う事です。
後はどれだけ天の想いの深さを、
掘り下げて理解する事が出来るのか、だと思います。
流れに身を委ねて自然体でいたら、
背中全体が温かい事に気が付いた。
僕の「後ろの百太郎」クンが強力になったのか、
または交代したのかは分からないけど
以前よりかなり強く存在を感じています。
もうね、後ろの千太郎って感じです(笑)
最近実は、
僕を守ってくれている方によくこう言ってました。
「もう試練は要りません。後は悟る学びにして下さい。」
そのおかげなのかな?僕を守護している方の
『格』が変わったような感じを受けているんです。
いつも温かいわけではなく…。
特に深夜、歩いて帰る前に印を結んでから帰るんだけど
その時には人肌以上の熱を感じています。
(前は印を結んでも、熱を感じた事はなかった)
あと、過去記事の中で夢に出てきた婆さんですが、
言いたい事はじつは分かっているので、
また何か変化があれば書きますね。
首里の大アカギに会ってきたけど、メッセージは聞けませんでした(笑)
見た目は大宜味の大アカギと似ていました。
でも存在している意味が違う感じでした。
大宜味の大アカギ達の感覚は…
自然霊(神)や精霊と話せる
誰もが使える(民間)のメッセージBOXという感じ。
首里の大アカギの感覚は…
首里の土地の神が中に入ってる感じで
首里に関係する人専用(笑)
昔の王府とか(公的)に感じた。
僕は蚊帳の外って感じ。
カネノ御イベが祭ってある御嶽で呼びかけたけど、
まったく返事してくれなかった。
(歓迎)もされなかったけど(入るな)とも言われなかった。
こう言っちゃなんだけど…
僕は沖縄より内地との関わりの方が強いのかなって思っている。
これは去年から感じていた事だけど、いくつか理由があったので。
○龍神の誕生…その後。
参照:思い出したこと、見えたもの。
URL:http://gaiax3.ti-da.net/e1972084.html#comments
龍神の夢を見た翌日(翌々日?)
遅い夕食を取る為に、職場と同じ敷地内にある
ラーメン屋さんへ入りました(僕はそこの常連さん)
椅子に座ると店員がお冷を持って来ました。
店員「いらっしゃいませ。」
なにげなく、店員さんの顔を見てビックリしました。
その店員さんが12歳違いの弟にそっくりだったので。。。
花屋(いや、違う!弟じゃない、コイツあの龍神だ!)
花屋(あの龍神の何かを感じる!)
ただのラーメン屋の店員なのにどこか品格を感じる (笑)
何かのメッセージなんだろうか、と思ってた。
(私が分かるか?)って龍神が僕を試したような気がした (笑)
顔は弟にそっくりだけど、弟ではなくて龍神。
何でそう思うのか?それは分からない…。だけどそう確信してた。
僕を一目、見に来たのか、ただの好奇心か…?(笑)
どっちにしてもこの接触には何か意味がある…。
意味がない事は起こらない。それが僕の持論だから…。
そう考えながらラーメン食ってた(笑)
会ったのはその一度きりで、次に行った時にはもういなかったし、
いないという確信もあった。
それから数日間は、龍の夢は見なかったけど
首里の大アカギに向かう前日に夢を見た。
地べたに腰を下ろし座る僕がいる。
ふと気付くと右後方に弟が立っていて、
僕の頭の上に手のひらをかざしていた。
花屋「ん?お前何してる~!」
花屋「もしかしてお前も声が(頭に)聞こえるのか?」
と聞くとニコっと頷いた。そこで夢が覚めた。
すぐに(アイツめ、生意気なっ!笑)って思ったけど、
もしかしたらそいつは弟ではなくて、前に出てきた龍神かも知れない。
今まで見た夢でも姿を変えてやって来る存在達がいたし、
僕の姿をした者さえいた。
だから僕は、ちょっとやそっとのことじゃ見た目に騙されません。
でも今回の夢の話もまた、「続く…」なんだろうなぁ~(笑)
以前、職場で居眠りして起きた時も
誰かが僕の額に手をかざしてた。
(誰だろう?)と上を見たけど逆光で黒い影にしか見えなかった。
何かまた「動き」があったら書きますね。
自身の生活態度、特に食生活に気を配っています。
少しずつウォーキングも始めています。
やらざるをえなくなったと言うか、
そうするように仕向けられたと言うか、まぁ、とにかく…
僕の意識のあり方が変わりつつあります。
ここまでこれた事やここにいる事にも感謝しています。
本当なら最短、最速で歩むことも出来るんだろうけどでも、
歩くのは僕なので常に遠回りで鈍足です。
道楽的な情報や、要りもしない情報に振り回された結果、
ムダな時間を費やしてしまった事も多々…。
だけど、それすらも人生の選択肢の範囲内。
予定通りに進んでいると、なぜか実感しています。
話しは変わりますが以前の僕は、
「人は自分の力(努力)で生きている」と考えてました。
それから考えが変わって、
「人は生かされて生きている」と、思うようになりました。
それは(人は自分の努力で生きている)なおかつ、
(天に見守られて生かされている、の両方である)と言う事。
これが最終的な答えだと思ってました。
そう思ってたけど、また答えが変化しました。
今は、「天に生かされている」と解釈していて
“神の手の上で転がされて生きている” と感じています。
~人差し指の頂点に向かって歩いていた僕~
神は掌を揺り動かして僕を転ばせる。
転んだことによって間違いに気付き、
次に中指を目指し歩いたけど、また途中で転ばされ…。
結局はどこにも辿り着けずに、
とうとう僕は内にこもる…。
気が付くと常に神の手の中心にいた。
それが答えだった。
目指すべき山は己の中、中心に存在した。
それが分かったのはこの数日間でした。
僕は内心、神に対しての不満や怒りを感じていた事があります。
神を恨んだり憎んだり…。ブログにも書いたけど酷いですね~(笑)
でもそうした事も含めて、
僕の道に用意された出来事だったように思います。
神の存在の意味を疑え!
なぜ出来事を起こすのか不思議に思え!
不満こそ、自分がまだそこまで至らないと考えろ!
憎しみも恨みも自己を深く問えば、
消化し切れていない、内面の問題だと気づく。
神や他人を憎むことは、
「私は心が未熟です」と公言するようなもの。
不満や恨みは、自分の問題を他に押し付けているに過ぎず、
結局はどんな出来事も、内側が外という鏡に反映された現象。
内面を進化させることですべての問題が解消する。
使命や役割も自分で決めた事だと理解し、
身近に起こる問題も、内側から発せられるものだと気付いたら、
神を憎んだり恨んだりすることはもうないだろう。
知識として頭では理解していても、
それが本当の理解に至っているかは分からない。
理解度は人それぞれ違うけど、人は深く理解すると、
頭よりも先に身体が反応を起こす。と僕は思う。
色んな感情を十分に味わい、外の問題が内側とリンクしていると気付いたら、
(そこまで理解したのなら身を委ねなさい)
と言う感じがしたので素直にそうしました。
それに従う事は自然な、“流れ”でした。
ここで言ってる“委ねる”とは、
単純に自分の感覚に頼るのとはちょっと違います。
『どんな事が起こっても動じず、
受け入れるべき事柄を受け入れる』と言う事です。
後はどれだけ天の想いの深さを、
掘り下げて理解する事が出来るのか、だと思います。
流れに身を委ねて自然体でいたら、
背中全体が温かい事に気が付いた。
僕の「後ろの百太郎」クンが強力になったのか、
または交代したのかは分からないけど
以前よりかなり強く存在を感じています。
もうね、後ろの千太郎って感じです(笑)
最近実は、
僕を守ってくれている方によくこう言ってました。
「もう試練は要りません。後は悟る学びにして下さい。」
そのおかげなのかな?僕を守護している方の
『格』が変わったような感じを受けているんです。
いつも温かいわけではなく…。
特に深夜、歩いて帰る前に印を結んでから帰るんだけど
その時には人肌以上の熱を感じています。
(前は印を結んでも、熱を感じた事はなかった)
あと、過去記事の中で夢に出てきた婆さんですが、
言いたい事はじつは分かっているので、
また何か変化があれば書きますね。
首里の大アカギに会ってきたけど、メッセージは聞けませんでした(笑)
見た目は大宜味の大アカギと似ていました。
でも存在している意味が違う感じでした。
大宜味の大アカギ達の感覚は…
自然霊(神)や精霊と話せる
誰もが使える(民間)のメッセージBOXという感じ。
首里の大アカギの感覚は…
首里の土地の神が中に入ってる感じで
首里に関係する人専用(笑)
昔の王府とか(公的)に感じた。
僕は蚊帳の外って感じ。
カネノ御イベが祭ってある御嶽で呼びかけたけど、
まったく返事してくれなかった。
(歓迎)もされなかったけど(入るな)とも言われなかった。
こう言っちゃなんだけど…
僕は沖縄より内地との関わりの方が強いのかなって思っている。
これは去年から感じていた事だけど、いくつか理由があったので。
○龍神の誕生…その後。
参照:思い出したこと、見えたもの。
URL:http://gaiax3.ti-da.net/e1972084.html#comments
龍神の夢を見た翌日(翌々日?)
遅い夕食を取る為に、職場と同じ敷地内にある
ラーメン屋さんへ入りました(僕はそこの常連さん)
椅子に座ると店員がお冷を持って来ました。
店員「いらっしゃいませ。」
なにげなく、店員さんの顔を見てビックリしました。
その店員さんが12歳違いの弟にそっくりだったので。。。
花屋(いや、違う!弟じゃない、コイツあの龍神だ!)
花屋(あの龍神の何かを感じる!)
ただのラーメン屋の店員なのにどこか品格を感じる (笑)
何かのメッセージなんだろうか、と思ってた。
(私が分かるか?)って龍神が僕を試したような気がした (笑)
顔は弟にそっくりだけど、弟ではなくて龍神。
何でそう思うのか?それは分からない…。だけどそう確信してた。
僕を一目、見に来たのか、ただの好奇心か…?(笑)
どっちにしてもこの接触には何か意味がある…。
意味がない事は起こらない。それが僕の持論だから…。
そう考えながらラーメン食ってた(笑)
会ったのはその一度きりで、次に行った時にはもういなかったし、
いないという確信もあった。
それから数日間は、龍の夢は見なかったけど
首里の大アカギに向かう前日に夢を見た。
地べたに腰を下ろし座る僕がいる。
ふと気付くと右後方に弟が立っていて、
僕の頭の上に手のひらをかざしていた。
花屋「ん?お前何してる~!」
花屋「もしかしてお前も声が(頭に)聞こえるのか?」
と聞くとニコっと頷いた。そこで夢が覚めた。
すぐに(アイツめ、生意気なっ!笑)って思ったけど、
もしかしたらそいつは弟ではなくて、前に出てきた龍神かも知れない。
今まで見た夢でも姿を変えてやって来る存在達がいたし、
僕の姿をした者さえいた。
だから僕は、ちょっとやそっとのことじゃ見た目に騙されません。
でも今回の夢の話もまた、「続く…」なんだろうなぁ~(笑)
以前、職場で居眠りして起きた時も
誰かが僕の額に手をかざしてた。
(誰だろう?)と上を見たけど逆光で黒い影にしか見えなかった。
何かまた「動き」があったら書きますね。
アンタ、誰?
2008年04月25日 / 夢・イメージ

明日、この木に会ってきます。(首里の大赤木)
今日の朝方に夢を見た。
場所は東北の田舎でそれほど古い時代じゃない。
(僕の東北のイメージは青森しかないから多分、青森かな?)
この時、僕は青森出身のオバサンでした(笑)
僕は自分の霊力を磨くため、
霊能者から教えをもらおうと考えていた。
有能な霊能者を見つけた僕は、その方の家の中に通され
部屋で僕の従者と腰を下ろして主人の登場を待っていた。
部屋の奥から小さな老婆が現れた。
囲炉裏を挟み対面に座った華奢な老婆は
可愛らしい笑みで歓迎してくれた。
ん、?
(あれっ!?)
花屋「あー!おばさんってあの時の婆さん!!!!?」
以前夢に出てきた、
僕に氣の使い方を伝授してくれた中国の婆さんだった。
参照;夢の話
URL:http://gaiax3.ti-da.net/e1989723.html
でも婆さんはニコニコしてるだけで答えない…。
僕はすぐに本題に切り出した。
花屋「能力の使い方を教えて下さいっ!あなたの弟子にして下さい!」
老婆は一言も発せずに首を横に振り断ったが
終始笑みを浮かべている。
僕は内心、顔も知ってる仲だから
即OKだろうと軽く考えていたから少し焦った。
(冗談だろ!?)
僕は婆さんが本気で断ったのではないとふんだ。
僕のやる気を試してるんだろう、と…。
それなら明日出直してこよう。
やる気がある事を見せるために。
僕は婆さんの微笑を見て、ちょろいと考えてた。
でも甘かった。
次の日も断られた。
その次の日も。
次の次の日もずっと…。
あきらめきれずに毎日毎日…。
婆さん宅に何度も何度も足を運んだ。
…94回、
…95回、
…96、…97、 …98回…
(あぁ、そっかー、婆さんは100回目にOKを出す気だな)
まだ軽く考えてる僕がいた。
そしてとうとう、100回目の訪問。
それでも婆さんはやっぱり断ってきた。
またニコニコと笑みを浮かべて…。
(なんで!?)
(なんでダメなんだよ!)
以前はすごくやさしかったのに…
いや、今でも見た目はやさしいけど…(笑)
僕は悔しくてあきらめきれなくて…
それでも通い続けた。
通い続けてたら、なぜかいきなり了解してくれた。
(今までのはやっぱり僕を試したのかな?)
了解をもらったので
住み込みの用意を整えたらすぐに婆さん宅に住み始めた。
婆さんが所有する建物はここだけじゃなかった。
道を挟んだ反対側にも婆さんが経営する商店があった。
僕はここの店番も頼まれた。
それも修行のうちだって…。
でも客は一人も来なかった。
外に出て、一本しかない道を見渡しても人はいなかった。
それもそのはず、ここは“恐山”か“賽の河原”だったから。
(恐山も賽の河原も知らないけど)